2008年03月09日

はじめに

この章の翻訳を担当したのは、黒影です。
[0-1]-[0-40]
Science For All Americans:INTRODUCTION[0-1]-[0-3]翻訳
Introduction[0-4]~[0-10]
Introduction[0-11][0-12]
Introduction[0-13]-[0-16]
Introduction[0-17]-[0-21]
Introduction[0-22]-[0-25]
Introduction[0-26]-[0-34]
Introduction[0-35]-[0-40]
     

はじめに

[0-1]

この報告書は科学リテラシーに関するものである。「すべてのアメリカ人のための科学」は、科学とテクノロジーによって形作られた世界に生きる、すべての人にとって必要不可欠な了解事項と思考様式に関する一連の提言から構成される。以下の文章で、我々はこれらの提言がどのように作成されたかおよび、その性質と構成について論じる。しかしまず最初に、我々はなぜこのような提言が必要となるのかという問題に取り組む。

[0-2]

科学リテラシーの必要性

公教育の最大の目的は、人々が自ら充足し責任ある人生を送ることができるよう準備させることにある。その一例として、科学教育(科学、数学、技術分野における教育)は、彼らが自分の考えを持って、人生と正面から向き合うことができる思いやりのある人間となるために、必要となる理解と精神の習慣を発達させる手助けしなくてはならない。また、公明正大で礼儀正しい活力ある社会の建設や保護に、人々が同胞とともに注意深く参加していくためにも、科学教育が人々を準備させるべきである。アメリカの未来(真実正当な社会を創設し、経済的活力を保ち、戦争に引き裂かれた世界の中で安全なままでいる能力)は、かつてないほど国家が全ての子供に提供する教育の特性と品質にかかっている。

[0-3]

この危機は、個々の自己充足や合衆国の短期的な国益にはとどまらない。人類が現在直面している深刻な問題のほとんどはグローバルな問題である。例えば世界各地の歯止めの利かない人口増加、酸性雨、熱帯雨林その他の種の多様性供給源の縮小、環境汚染、伝染病、社会紛争、地球の富の分配における極端な不公平、戦争の準備・遂行のための莫大な人材・資源の投入、核による体力殺戮の不吉な影――リストは長い。これは憂慮すべきことである。

[0-4]

未来が個人、国家、そして世界に何をもたらすかは、主に人類が科学技術を使用する叡智にかかっている。そして同様に、人々が受ける教育の性質、普及、そして有効性にかかっている。簡潔にまとめると、米国評議会の議論内容は以下のようなものである。

[0-5]

精力的に追及された科学は、人類に生物物理学的な環境についての知識および、グローバル/ローカルな問題の効果的な解決策を発展させるために必要な社会的マナーについての知識を提供することができる。これらの知識なくしては、安全な世界へ向けての歩みは不必要なハンディキャップを負うことになるだろう。

[0-6]

生物の相互依存性や環境依存性を強調し、説明することで、科学は自然に対する知的な敬意を養う。そしてそれは、技術の用途の決定に必ず影響を及ぼす。この自然に対する敬意が存在しなければ、我々は無謀にも自身の生命維持システムを破壊する危険にさらされることとなる。

[0-7]

科学的な性質は、あらゆる職業において人々が、証拠、定量的考察、論理的な議論そして不確実性を含む問題を合理的に解決するのを手助けする。批判的に、そして、独立して考える能力なしには、人々は複雑な問題への単純な解決策を主張する独断論者や詐欺師、御用学者達の格好の餌食である。

[0-8]

システムの性質、フィードバックと制御の重要性、コスト・利益・リスクの関係、そして副作用の必然性のような話題に関連する技術的原則は、人々に新技術の使用とそれが文化や環境にもたらす影響を評価するための確固とした基盤を与える。このような原則の理解抜きには、人々は目先の利益への考慮を超えて動きそうもない。

[0-9]

差し迫ったグローバル/ローカルな問題の多くは技術的な原因を持つが、同時に技術はそのような問題に対処するための解決策を提供する。そして科学を通じて、重要な新しい知識を生み出すための道具を提供する。継続的な新技術の開発と創造的な利用なしでは、社会は生存し、人類が社会や環境と調和する世界に向かって進むその能力を制限されるだろう。

[0-10]

一般大衆が科学、数学、技術を理解して科学的な性質を得ない限り、科学技術が人生を充実させる可能性は実現することはない。科学リテラシーを持つ人々の存在なしには、より良い世界の展望は約束されない。

[0-11]

大部分のアメリカ人は、科学リテラシーを持たない。アメリカの生徒が科学と数学の成績で底辺に位置していることを確認するには、単に国際的な学力調査における成績を確認しさえすれば良い。これは学校がその職務を十分に遂行している場合に期待できる成果では全くない。例えば直近の国際的な数学調査では、アメリカの学生は問題解決能力において国際水準をはるかに下回っていた。そして教育発達度合いの全国評価に関する最近の研究成果は、わずかな項目で若干の成長が見られるものの、1986年の17歳の平均能力が1969年のそれをかなり下回り続けていることを発見した。

[0-12]

アメリカ合衆国は、現状を改善しなければならない。どのみち我が国は、民主主義の基盤として公教育を尊重すると断言する、豊かな国家である。そして我が国は科学技術分野における能力に(さらにはリーダーシップに)国家の将来の幸福を意図的に賭けている。従って、この注力が、現代的で確固とした基盤を持つ、高い能力を持つ教師と管理者が配置された学校システムの形で現れることに期待するのは当然のことである。そしてこのような学校のカリキュラムは、全ての生徒に対して確実に科学、数学、テクノロジーに主眼が置かれられなければならない。しかし実際には、あまりにも多くの州、学区においてまったく異なる状況が存在している。

[0-13]

ほとんどの小学校教師は、科学・数学に関する初歩的な教育すら受けていない。そして中学、高校の理数科教師の多くは、これらの分野で用意された合理的な基準を満たさない。残念なことに、このような欠陥は長年にわたり教師養成機関、教員免許を認可する公共団体、彼らを雇い担当教科を割り当てる学校によって、そして教員自体にさえ許容され続けている。

[0-14]

科学と数学の教師は、たとえ彼らの準備がどれだけ素晴らしかったとしても、立派に務めを果たすことがほとんど不可能になるほどの壊滅的な授業負担を持つ。この重荷は、彼らをバックアップする近代的なサポートシステムがほとんど存在しないことによって悪化している。世界は21世紀に近づいているが、アメリカの学校は(人員、時間、テクノロジーの配備に関しては)未だ19世紀に止まり続けているように見える。

[0-15]

現在の科学の教科書と指導法は、手助けからはほど遠く、現に科学リテラシーに向かう進歩をしばしば妨げる。疑問の探求よりも答えの習得を、批判的な思考の代わりに記憶力を、文脈理解の代わりに情報の断片を、議論よりも暗唱を、行動よりも読書を重視する。学生の共同作業や、知識や情報の自由な共有や、知力を広げるための最新の器具の使用を促すことができない。

[0-16]

理数科目における現在のカリキュラムは、詰め込み過ぎで栄養不足である。これらのカリキュラムは数十年にわたってほとんど制限を受けずに肥大化し、結果として教師と生徒を圧倒し、どの科学、数学、テクノロジーが真に重要かを彼らが把握し続けることを困難にした。いくつかのトピックは不必要な詳細にまでわたって何度も繰り返し教えられる。その一方で、科学リテラシーと同等以上の重要性を持つトピック(主に物理学や社会科学、テクノロジーに関するもの)は、カリキュラムに存在しなかったり、ほんの少しの学生しか登録しなかったりする。

[0-17]

この状況を変えるためには、決断、人的資源、指導力、および時間がかかるだろう。世界は特権階級のみならず、あらゆる人々にとって科学リテラシーが必要となるように変化した。そして科学教育は、これを可能にするために変わらなければならない。我々は皆、教育における現在の嘆かわしい状況に責任がある。そしてそれを改革するためには我々全員が必要である。プロジェクト2061がその国家的努力に貢献することを望む。

[0-18]

提言

プロジェクト2061の基本的な前提の一つは、学校がますます多くの内容を教えるよう依頼される必要はなく、むしろ科学リテラシーに不可欠な内容に焦点をおき、より効果的にそれを教えることが必要だということである。したがって、一般的な学習の中核要素に関する評議会の提言は、これを科学リテラシーに対して最大の科学的・教育的重要性を持つ考えや技術に限定することである。

[0-19]

「すべてのアメリカ人のための科学」は、科学リテラシーを持つ人が以下のような人であるという信念に基づいて作られている。すなわち、科学・数学・技術が相互に依存している長所と短所、強みと限界を持つ人間活動であること認識しており、科学の主要な概念と原理を理解しており、科学知識と科学的思考法を、個々あるいは社会的な目的のために使用する人間である。提言は、主題として4つの主なカテゴリーをカバーする第12章に示される。

[0-20]

第1章から第3章では、人間活動としての科学、数学、技術の本質(科学的探求としてまとめられる)について取り組む。

第4章から第9章では、現在の科学と数学の視点から見える世界、そして技術によって形作られた世界に関する基本的知識を取り上げる。

第10章から第11章では、科学的探求の歴史のいくつかの偉大なエピソードや、世界がどのように機能しているかを考えるための道具として役立つ、いくつかの分野横断的テーマに関して、人々が理解するべきことを紹介する。

第12章では、科学リテラシーのために不可欠な、心の習慣について提示する。

[0-21]

これらの提言について考慮するにあたっては、いくつかのレポートの特徴に留意することが重要である:

[0-22]

この提言は、科学リテラシーの幅広い定義を反映している

科学リテラシー(自然科学、社会科学と同様に数学や技術も含む)は、様々な側面を持つ。そこには、自然界をよく理解しその一体性を尊重すること、数学、技術、科学がそれによって相互依存する重要な方法の一部に気付くこと、科学の基本原則や要点となるいくつかの概念を理解すること、科学的思考法を受け入れる能力を持つこと、科学・数学・技術が人間活動であり、そのことがその長所と短所について何を意味しているかを理解していること、科学知識と科学的思考法を個々の、あるいは社会的な目的に利用することができること、などが含まれる。

[0-23]

科学リテラシーのこれらの側面のいくつかは報告書の特定の箇所でのみ扱われているが、他のものは各章の本文に織り込まれている。したがって、科学リテラシーの多角的な議論として報告書全体に見られる提言は、必要不可欠である。

[0-24]

この報告書における提言は、すべての生徒に適用される

提言の一覧は、彼らの社会状況や職業の希望に関係なく、すべての若者のための科学・数学・技術教育における共通の中核要素を構成する。この提言は特に、過去に科学・数学教育から置き去りにされた者達(民族、言語のマイノリティや女性)に関係している。 提言は提案された面白い話題をすべて含むわけではなく、また伝統的な大学準備のカリキュラムの希釈に由来するわけでもない。それでもなお、提言の内容は意図的に野心的なものとなっている。なぜならば、期待しすぎることよりも、学生が何を学ぶことが可能か過小評価することのほうがなお一層悪いからである。評議会は、(13年間の学校教育を通して明確な目標、正しい教材、良い指導を与えられれば)基本的にすべての生徒(運用上は90%以上を意味する)が、高校卒業時に推奨されるすべての学習目標(最低でも90%を意味する)に到達できるであろうことを確信している。

[0-25]

しかしながら、同時に、学生はこの報告書に書かれた学習の一般的な中核要素に制限されるべきではない。特別な関心と技能に応じて、一部の生徒は取り上げられる話題に関して、この報告書で提示されるよりも高度な理解を得たくなるだろう。そしてこの報告書にまったく含まれていない話題を追いかけたくなるものもいるだろう。よく設計されたカリキュラムは、科学・数学・技術教育の共通中核要素への参加を犠牲にすること無しに、これらの特別なニーズに対応することを可能とするだろう。

[0-26]

提言は、科学的意義と人間的意義の双方に基づいて選ばれた。

学校は、ますます多くの内容を教えるように要請される必要はなく、むしろより良い教育を実践するために教える量を減らす必要がある。わずかな話題に集中することによって、教師はさまざまな文脈で、生徒が成熟するに従って補強拡大しながら、徐々に考えを紹介することができる。最終的に生徒達は、消化しきれないほどの大量の話題の表面的な暴露によって得ることが期待できるものよりも、より豊かな洞察、より深い理解を得るだろう。したがって、カリキュラム開発者にとっての問題は、何を取り除くかに比べればずっと少ない何を加えるべきかになる。

[0-27]

長年にわたる教材の増加を反転させることが、このようにプロジェクト2061の大きな目標である。しかし、この目標について記述することは、選択を行うことを意味する。科学・数学・技術における学習の共通中核要素を定義するための基準は、科学的かつ教育的である。飛びぬけた科学的重要性を持つと思われる知識は真っ先に合意された。なぜなら、生涯に、まして13年間に学習するには、存在する知識の量はあまりに多すぎるからである。 これは現在知る価値があるものや、数十年後にも知る価値があり続けるものに重大な影響を持つに適した内容を意味し、そして単に技術的関心や限られた科学の領域を通り過ぎるだけの話題を除外した。特に、生涯に渡りより多くの知識を築き上げる不変の基盤となることができる概念が選ばれた。この選択は、次に、人の生命や自由社会で普遍的な公教育を正当化する広い目標に関連する重要な基準を満たさなければならなかった。 その基準とは、

[0-28]

実用性:提案された内容(知識や技術)は卒業生の長期的な雇用見通しを大きく強化するか?個々人の決定を行う際に役に立つか?

社会的責任:提案された内容は、市民が科学技術に関わる問題についての社会的・政治的決定に理知的に参加することを手助けするか?

知識の固有の価値:提案された内容は、科学・数学・技術が、人類の歴史の中で非常に重要な位置を占めることや、これら抜きでは一般教育が成り立たぬほど我々の文化に広く普及しているという側面を提示するか?

哲学的な価値:提案された内容は、人間の意味に対する尽きることのない疑問(例えば生と死、認識と現実、個々の利益対共同体の福祉、確実性と懐疑など)について考えるための人々の能力に寄与するか?

幼年期の充実:提案された内容は、幼年期(それ自体が非常に重要であり、単に晩年に至るためだけにあるのではない年代)をより良いものとするか?

[0-29]

提言はまったく新しいものでもなければ、永遠に修正されないものでもない

提言を編成する際には、目新しいものを探したり、逆にそれを排除したりする試みはまったく行っていない。課された課題は、それが現在の学校カリキュラムの一部であるかどうかに関わらず、決定的に重要な意味を持つ知識と技術の最小限の中核を定義することであった。提言は唯一の可能性を構成するわけではない。事実、このプロジェクトに参加した者達の間でも、様々な話題について異なる意見が存在した。しかし評議会は、この提言が道理にかなっていて、科学・数学・技術のカリキュラムを設計するために健全な基盤を提供することを信じている。

[0-30]

しかし科学・数学・技術は、絶えず流動している(一部の知識や物事の進め方はそのままに、一部は再構成あるいは捨て去り、他のものを追加していく)。提言が新しい知識に対応するために改定の必要が生じるその時は、(一部の領域では他の領域よりもすぐに)いつか必ず訪れる。さらに、教育者と科学者達はプロジェクト2061の第二段階において、このレポートに基づくカリキュラムモデルを設計するために一緒に働いているため、彼らはこれらの提言の適切さに関して彼ら自身の結論に達し、変更を提案するだろう。いずれにせよ、提言は新しく変更のきかない正説を作るために提示されたわけではない。しかしむしろ、第二段階開発のための確かな材料を提供する。教育内容の問題について活発な議論を巻き起こし、カリキュラムの変更に作用するために。

[0-31]

この報告書はカリキュラム文書でも教科書でもない。

読者はこの報告書に対し、特定のコースや学年で何を教えるべきかの提言を見出すことを期待するべきではない。この報告書は学習目標(完全な学校経験の結果として生徒たちが学校を卒業した後で、彼らが何を記憶し、理解し、出来るようになるべきか)のみを扱い、これらを達成するためにどのようにカリキュラムを編成すればよいかは扱わない。ましてや、提言の意図するところは、教科書がそうするように読者を導くことでもない。直線的に話題を提示することは、実際のカリキュラムや教科書に不可欠な、考えの関連性や経験を満足に示すことが出来ない。

[0-32]

この提言は、すべての人々を適切な理解のレベルに運ぶことを目的とする。

大抵の教育的な目的のためには、幅広い一般化(たとえば「すべての人は、科学と技術がどのように関連付けられているかを知るべき」など)は、特定の話題の長いリスト(原子、細胞、惑星、図表等)と同様に役に立たない。どちらの取り組みも何を学ぶべきかを明らかにせず、どの程度の素養が必要とされるかについて読者自身の推測を必要としている。 従って、この報告書の特定の提言は、理解のレベルと意図された理解の文脈を伝えることが出来る程度に詳細な枠組みを持っている。提言は4つのレベルの統括の下で編成された。

[0-33]

章:各章は関連する話題の広範囲にわたる集まりを扱う。まとめると、章タイトルは、人々が世界に関する新しい知識を得るに従って生涯を通して利用することができる、科学を理解するための概念的な枠組みを構成する。

見出し:各章の内で、「地球を形成する力」や「生命の相互依存」のような見出しは、全ての生徒が精通していなければならない概念上の領域を特定する。すべての見出しの一覧は、内容ではなく特定の提言に対する大まかな答えを提供するだろう。

段落:各見出しの下には、詳細が記憶から消えてしまった後にも人々が所持すべき、残りの知識、洞察、技術を表す段落が存在する。高校卒業生がある話題(例えば情報処理)について取材をうけたとしたら、彼らは自分自身の言葉で、その見出しの段落に書かれていた知識を見つけ出すことが出来なければならない。

語彙:提言の言葉づかいは、提唱される学習のレベルを伝えることを意図されている。提言は生徒にではなく、現在の教養ある大人のために書かれているが、専門的な語彙は、最低限彼らが高校を卒業した時点で自由に操れると期待されるレベルに制限されている。この語彙は科学・数学・技術の健全な教育の成果として見られるべきものではあるが、これ自体が主目的ではない。

[0-34]

要約すると、提言は、(それぞれ異なる細かさで)この後に続く12の章のタイトル、見出し、文章と語彙の中に存在する。それでも、あらゆる話題にまたがって想定される知識の品質を、このように短い文章で伝える方法は存在しない。この品質(何かを理解する方法)は主にそれがどのように学ばれるかに依存している。このことについては、第三部の学習と教育に関する議論が、提言自体の性質を理解するための展望を提供する。

[0-35]

提言の起点

「すべてのアメリカ人のための科学」における提言は、誰か一人のものでもなければ、委員会のものでもない。提言は代わりに、個人の大胆な洞察とグループ間の批判的な対立の両方を捉える長いプロセスから現れた。簡潔にまとめると、以下のようなステップである。

[0-36]

米国科学振興協会によって任命された科学パネルは、5つの領域(生命科学と健康科学、数学、物理学と情報科学・情報工学、社会科学と行動科学、技術)で提言を出す責任を負った。各パネルは、自分の考えを示し、一人以上のパネルメンバーによって提出された特定の提案についての議論に参加するため、よくコンサルタントを呼んで2年間ひんぱんに会合を繰り返した。

[0-37]

合意を得るために、個々のパネルメンバーは科学的、教育的な重要性の観点から自身の提案を守らなければならなかった。この批判的なテストを乗り切った提案の数が増えたとき、別の条件(新しい候補に席を譲るため、一覧から削除されるべき項目はどれか?)が加えられた。パネルには、時々、お互いの仮の提言を研究して批評する機会があった。審議の終わりには、各パネルは科学技術教育評議会に結論をまとめた報告書を提出した。報告書はその後、AAASによって発表された。

[0-38]

評議会はAAASによっても指名された。その責任範囲は、パネルとプロジェクトスタッフのための品質管理とガイダンスを提供することとなっていた。(この仕事は、第15章に簡単に説明される未来を変えるための教育、プロジェクト2061と呼ばれているより大きな仕事の一部である)スタッフ(主にラザフォードとアールグレン)は定期的にパネルと会合し、合意の上でパネルのすべてに共通の領域(例えば科学的探求、歴史、分野横断的なテーマの本質など)をカバーする草案を作成する責任を負った。パネルメンバーは各自の考えを提出し、一連の草案を批判した。

[0-39]

そして多くの専門家の助けを借りたスタッフは、パネル報告と自身の仕事を利用して、単にそれらを統合するのではなく、一つの説得力がある報告書を準備すると約束した。草案が書かれ、評議会に提出され、検討され、そして書き直された。評議会がついに満足したとき、草案は130人の識者によって詳細に批評され、彼らのコメントが検討され、そして最終原稿が作成された。評議会は「すべてのアメリカ人のための科学」を推薦し、ついにAAAS取締役会がこれを知るところとなった。役員たちは文章すべてに目を通し、評議会共同議長による支持の議論に耳を傾け、詳細な議論の末に、満場一致で出版の認可投票を行った。

[0-40]

従って、「すべてのアメリカ人のための科学」は、科学・数学・技術のコミュニティの、確認できる限りの情報に基づいた考え方を表す。確かにこれはひとつの合意に過ぎないが、その辺の調査や会議から生じる類の浅薄なものではない。その過程がすべての子供のための科学・数学・技術教育についての唯一のもっともらしい提言につながったと言うことは出来ないが、確かに、我々が自信を持つことが出来る提言をもたらした。これは断片化された情報よりも意味やつながり、文脈を強調し、範囲の広さよりも理解の質を好む野心的ではあるが達成可能な構想である。これはまさに、我々がすべてのアメリカ人のために望むべき教育のあり方ではなかろうか?

この記事へのコメント
ちょっとだけ。

> [0-21]
> In considering these recommendations, it is important to keep in mind some of the special features of the report:
> これらの提言について考慮するにあたっては、いくつかのレポートの特徴に留意することが重要である:

これらの提言を考慮するにあたって、このレポートのいくつかの特徴に留意することが重要である:

 ひとまず、「いくつかのレポートの特徴」ではなく「レポートのいくつかの特徴」とした方が意味が明確だと思いました。
Posted by newKamer at 2008年03月25日 16:15
[0-22]
> knowing that science, mathematics, and technology are human enterprises, and knowing what that implies about their strengths and limitations;
> 科学・数学・技術が人間活動であり、そのことがその長所と短所について何を意味しているかを理解していること

 科学・数学・技術は良くも悪くも人間の活動であり、そのために存在する影響力と限界について理解していること

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 正直、原文も何を書いているのかいまいち掴めなかったので、こういうことを言いたいんだろうという文をでっちあげてみました。そのまま使うことはできないと思いますが提示だけ。
Posted by newKamer at 2008年03月25日 16:37
[0-24]
> The recommendations do not include every interesting topic that was suggested and do not derive from diluting the traditional college preparatory curriculum.
> 提言は提案された面白い話題をすべて含むわけではなく、また伝統的な大学準備のカリキュラムの希釈に由来するわけでもない。

 提言は提案された興味深い話題を全て含むわけではなく、また伝統的な大学準備カリキュラムを薄めたものでもない。

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 自分の理解が合っているかは全くわからないのですが(英語力が悲惨なので)、日本語で読んでてひっかかったところを、適当に切った貼ったして別の日本語にしてみます。←他のコメントも同様
Posted by newKamer at 2008年03月25日 16:55
>newKamerさん
ご指摘ありがとうございます。
確かに日本語として出来が良くないので、ご指摘を元に修正します。
Posted by 黒影 at 2008年03月26日 21:33
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