2008年03月09日

第1章: 科学の本質

この章の翻訳を担当したのは、tetblueさん、kelokeloさん、optical_frogさんです。
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第1章: 科学の本質

科学的な世界の見方

科学的探求

科学という企て


第1章: 科学の本質

[1-1]

人類の歴史を通じて、人々は物理学的、生物学的、心理学的、そして現実社会について、数多くの互いに関連し有効性のある概念を、発展させ続けてきた。それらの概念は、後に続く世代が、人類と人類を取り巻く環境についての理解を、より包括的でより信頼できるものとして得ることを可能にしてきている。このような概念を発展させてきた手法は -- 観察し、思考し、それを評価する -- という、科学独特の方法である。この独特の方法は、科学の本質にある根本的な一面の現われであり、知ることに対する科学以外の他のやり方と科学がどのように異なるものなのか、ということを反映しているものである。

[1-2]

科学的な試みを形成し、成功させ得るものは、科学、数学、技術の融合体である。人類の活動において科学、数学、技術それぞれは、独自の特徴や歴史を持つ反面、互いに依存し合い、相互に増強しあっている。そのため、まず初めに読むことをお薦めする最初の三章においては、科学的活動における各自の役割を強調させ、互いの間にある類似性や関連性を明らかすることで、科学、数学、技術の全体像を描いていく。

[1-3]

本章では、科学の作用に関する知識の中で科学リテラシーとして必要なものが何かについて提言する。特に、3つの重要な主題に焦点を当てる。科学的な世界の見方、科学的な探求方法、そして科学的事業の本質である。続く2章と3章では、数学的または技術的な手法が一般的な科学と異なっていることについて考える。4章から9章にかけて、現在の科学によって描かれる世界の見え方を提唱する。10章〜歴史的見解〜では、科学の発展における重要な出来事の話をする。そして、11章〜共通概念〜では、上述した世界への見識の全てに共通する概念をまとめあげる。

[1-4]

科学的な世界の見方

自分が何をしているか、自分の仕事をどのように見ているかということについて、 科学者は、共通するある基本的な信念と態度を保持している。これら科学者が共有しているものは、世界の本質やそこから学び取れるものと関係している。

[1-5]

世界は理解可能である

注意深く系統立てた調査を通して理解することのできる一貫したパターンのうちに、自然現象が起こるということを、科学は前提としている。そして、知性の使用と我々の感覚を伸ばす機械の助けを借りることで、自然の全てのパターンを発見できると、科学者は信じている。

[1-6]

科学はまた次のことを前提としている。その名が暗示するように、宇宙が基本的な法則をあらゆる場所において同一とする広大な1つの系だということである。宇宙のある一部分の解析によって得られた知識は、他の部分へと適用可能である。例えば、地球表面上での落下物の挙動を説明する運動法則や重力法則は、月や惑星の挙動をも説明しうる。長年にわたる修正過程を経て、同様の運動法則は他の力へと適用されてきた。その適用は、最も小さな素粒子から最も巨大な星、帆船から宇宙船、そして弾丸から光線までとありとあらゆるものの挙動に渡る。

[1-7]

科学的な概念とは変化するものである

科学とは知識を生み出す過程のことである。この過程は、現象の注意深い観測とそれらの観測事実を説明する理論の構築の両方に依存している。新たな観測事実はその時点での有力な理論を脅かすため、知識の変化は不可避なものである。ある理論がどれだけよく観測事実をうまく説明しようとも、別の理論がそれ以上にうまく当てはまったり、またより広い領域における観測事実に当てはまることもあり得る。科学において、理論の試行、改善、そして時々起こる破棄というのは、その理論が古くとも新しくとも、絶えず行われている。たとえ完全で絶対的な真実である保証はなくとも、さらなる正確な近似が世界とその作用を説明しうると、科学者は想定している。

[1-8]

科学的知識は持続的である

科学者は絶対的な知識に達する考えを排除し、ある不安定要素を自然の一部として受け入れてしまうが、大部分の科学的知識は持続的なものである。概念の無条件な排除よりもむしろ修正が科学の基準であり、強力な知的構築物は生き残り、より正確になり、広く受け入れられる傾向にある。例えば、相対性理論を定式化する際に、アルバート・アインシュタインはニュートンの運動法則を破棄するのではなく、ニュートンの法則が、より全体的な構想の限定的な適用の近似に過ぎないということを示した。(例えば、NASA(The National Aeronautics and Space Administration)は衛星軌道を計算するのにニュートン力学を用いている。)さらに、科学者が自然現象について正確な予測ができるようになることは、我々がまさに世界への理解を得ているということの説得力のある証拠でもある。継続性と安定性は変化と同じぐらい科学の特徴であり、確信はためらいと同じぐらい(科学において)一般的なのである。

[1-9]

科学はあらゆる問題に完全な解答を与えられる訳ではない

科学的な方法による有効な調査ができない多くの問題が存在する。例えば、まさにその本質から肯定も否定も出来ないような信念が挙げられる(例えば、超自然的な力や物の存在や生命の本当の目的などである)。他の例を挙げると、ある種の信念(奇跡、予言、占星術、そして迷信など)を抱いた人たちによって、おそらく正確であろう科学的な調査が無関係なものとして排除される傾向もある。科学者は、善悪に関する話題を収束する手段を持っていない。しかしながら、科学者は善悪の重み付けを手助けするような特定の現象の結果を発見することでこの手の議論に時々貢献してしまう。

[1-10]

科学的探求

科学的な学問分野にはさまざまなものがあるが,根本の部分において共通している.それは,証拠にもとづくこと,仮説と理論の使用,各種の論理の使用などだ.とはいえ,科学者ひとりひとりは互いに大きく異なっている.たとえば探求している現象や研究の方法のちがい,歴史的なデータと実験による発見のどちらに根拠をおくのか,手法は定性的か定量的かといったちがいもあれば,基礎原理に訴えるかどうかという点や,他の科学分野の発見をどれほど引用するかという点でも異なる.しかし,研究技法・情報・概念に関する意見交換はつねに科学者どうしでなされており,科学的に妥当な探求を成り立たせる条件についても共通の理解が存在している.

[1-11]

科学的な探求は個別の研究の文脈を離れては記述しがたい.つねに踏襲している所定の手続きなどは存在せず,ある手続きさえ踏めば間違いなく科学的知識が得られるというようなこともない.しかし,科学をひとつの探求の様式として特徴づける特性はいくつかある.そうした特性はとりわけ職業的な科学者たちにみられるものではあるのだが,誰でも日常生活で関心のある多くのことについて科学的に考える際にみずからそれを実践できる.

[1-12]

科学は証拠をもとめる

科学的な主張の妥当性は遅かれ早かれ現象の観察を参照することで決着がつく.よって,科学者は正確なデータを得ることに傾注する.そうした証拠をもたらす観察や計測がなされる状況は,自然な環境(たとえば森林)から完全に人工的なもの(たとえば実験室)まで,多岐にわたる.観察を行う際に,科学者たちはみずからの五感や,五感を強化する器具(たとえば顕微鏡)を使ったり,あるいは人間が感じとれるものとはまったく異なる特徴(たとえ磁場)をつかむ器具を使用したりする.科学者たちはみずから手出しせずに観察することもあれば(地震,鳥の渡り),収集したり(岩石,貝殻),あるいは積極的に世界を探測することもある(地殻のボーリング,試薬の投与).

[1-13]

状況によっては,科学者たちは証拠を得るために意図的に厳密に条件を操作することもある.たとえば,科学者たちは温度を管理したり,化学薬品の濃度を変えたり,あるいは生き物の交配の組み合わせを選択したりすることがある.一度に一つの条件だけを変えることで,他の条件の変化に惑わされずにある現象に及ぼされる排他的な効果を同定できると期待できる.しかし,条件の操作が実行できない場合や(星の研究),非倫理的な場合(人間の研究),あるいは自然現象を歪曲する可能性の高い場合(捕獲した動物を研究するケース)もしばしばある.そうした場合には,自然に生起する条件を十分に広い範囲にわたって観察しなければ多様な要因の影響がどのようなものであり得るかを推論できない.このように科学は証拠に立脚しているため,観察の器具や技法の発達には多大な価値がおかれており,また,個別の研究者や研究グループの発見は他者によって確認がとられるのが通常である.

[1-14]

科学は論理と想像力の融合である

仮説や理論を考え出すときにはあらゆる種類の想像や思考が駆使されるのだが,遅かれ早かれ科学的な論証は論理的推論に合致しなければならない──すなわち,推論・証明・常識の規準を適用することで論証の妥当性の検証に通らねばならない.たしかに科学者たちは個別の証拠のもつ価値や特定の仮定に関して意見が異なることもある──したがっていかなる結論が正当化されるのかについて同意しないこともある.しかし,彼らも証拠と仮定を結論へとつなげる論理的推論の原則についてはおおむね合意するものである.

[1-15]

科学者たちが携わるのはデータや十分に発展を遂げた理論だけではない.事物の可能性について暫定的な仮説しかもちあわせていないこともしばしばある.科学においてそうした仮説は,着目すべきデータはどんなものでさらに探し出すべきデータは何であるかを選別するのに使われたり,またデータの解釈の手引きにも使われている.それどころか,仮説の形成と検証こそは科学者たちの営みの中核のひとつである.仮説が有益なものとなるには,どんな証拠ならそれを支持し,そんな証拠がそれを反駁するのかを示さねばならない.原理的に証拠により検証できない仮説は,たとえ興味深いものであっても科学的に有益なものとはなりそうにない.

[1-16]

論理の使用と証拠の精査は科学の進歩に必要なものだが,しかしそれだけで十分というわけではない.科学的概念はデータや分析そのものから自動的にわき出てはこない.仮説や理論を考案して世界の成り立ちを想像し,さらに現実の検証にかける方法を考え出すのは,詩作や作曲,摩天楼の設計にも劣らず創造的なことだ.科学の発見が期せずして偶然になされることもときにはある.しかし,通常の場合,知識や創造的洞察なくしてはその意外な発見の意味を認識できないものだ.ときとして,ある科学者が無視していたデータのとある側面が別の科学者による新発見につながることもある.

[1-17]

科学は説明し予測する

科学者たちは現象の説明を構築してその観察から意味を引き出す.この説明は,現時点で受け入れられている科学的原理を使っていたり,それによって成り立っている.こうした説明──理論──は,広く包括的な場合も限定的な場合もあるが,そのどちらであれ,十分に有意な量の科学的に妥当な観察をとりいれて論理的に堅固でなければならない.科学理論の信頼性は,それまで無関係にみえていた現象どうしの関係を示すその能力に由来していることが多い.たとえば大陸移動の理論が信頼性を高めたのも,地震,火山,別々の大陸にみつかった化石のタイプの照合,大陸の形状,様々な海洋底の色彩の相違といった様々な現象どうしの関係を示したことによる.

[1-18]

科学の本質は観察による確認にある.しかし,既知の観察にのみ合致するのでは科学理論として十分でない.既知の観察に加えて,科学理論はそれを形成した際には使われていなかった観察にも合致しなくてはならない.つまり,理論には予測の力が必要なのだ.別に未来の出来事を予見しなくても理論の予測力は示せる.いままで発見されたり研究されたりしていなかった過去の証拠について予測するのでもよい.たとえば人間の起源に関する理論は人間に似た化石の発見によって検証されうる.地球の歴史や地球上の生活型の歴史でおきた出来事を再構成するためには明らかにこのアプローチが必要不可欠だ.また,通常は非常にゆっくりとしか起こらないプロセス,たとえば山脈の形成や星の老化などを研究するのにもこれは必要となる.たとえば星は我々が通常観察できるのよりもゆっくりと進化する.しかし,星々の進化に関する理論は,それまで星に関する既存のデータの集合には見いだされていなかった星の光の特性どうしに思いもよらなかった関係を予測するかもしれない.

[1-19]

科学者はバイアスを突き止め,回避しようとする

あることが真であるという主張にであうと,科学者たちはそれを支持するどんな証拠があるのかと訊ねる.しかし,科学的な証拠はデータの解釈の仕方やデータの記録・報告の過程,あるいはそもそも考慮すべきデータの選別によってバイアスを受けることがある.科学者の国籍・性別・出身民族・年齢・政治的信念などによって,どんな種類の証拠や解釈に目を向けたり力点を置いたりするのかという傾向が変わることもある.たとえば,長年にわたり,男性科学者たちによる霊長類の研究はオスの競争的な社会行動に注目していた.女性科学者たちがこの分野に参入してはじめてメスのコミュニティ形成行動の重要性が認識されるに至ったのだ.

[1-20]

研究者・標本・手法・器具に起因するバイアスを完全に避けることはできないのかもしれない.しかし,科学者たちはバイアスがどこから生じ,いかにして証拠に影響するのかを知りたがっている.客観性がつねに実現されるわけではないが,それでも科学者たちは他人の研究のみでなくみずからの研究においてもありうるバイアスに警戒しようとしているし,そう期待されている.ある分野でいまだ発見されていないバイアスに対する防護策を一つあげるなら,それは多くの異なる研究者・研究グループがそれに携わることである.

[1-21]

科学は権威主義的でない

他の領域と同じく科学においても,情報や意見はそれに詳しいソースにあたるのが適切である.通常,そのソースとは当該分野の専門家である.しかし,科学史において,尊敬される権威者が間違っていたことは数多い.長期的に見て,どれほど有名で高い地位をもっていようと特定の科学者が他の科学者たちを余所に何が真であるかを判断する権限はない.誰かが真理を知る特別な方法をもっていると信じる科学者はいないからだ.科学者がじぶんたちの研究に基づいて到達すべき結論が,前もって決められているわけではない.

[1-22]

短期的に見れば,主流の考えに合致しない新たな考えが厳しい批判にさらされることもある.そうした考えを探求している科学者は研究の支援を得るのに苦心するかもしれない.それでも,新しい考えに挑戦するのは,妥当な知識を築いてゆく上で科学のまっとうな仕事である.他の科学者たちを説得するのに十分な証拠が蓄積されているにも関わらずもっとも名声ある科学者たちが新たな理論を頑として受け入れようとしなかった場合すら,ときにみられた.しかし,長期的に見れば,理論はその結果によって判断されている:誰かが新しく考えた理論や改善したバージョンが既存の理論よりももっと重要な問いに答えたりより多くの現象を説明するのであれば,そうした新しい理論はしだいに既存のものに取って代わるものだ.

[1-23]

科学という企て

企てとしての科学には,個人・社会・制度の次元がある.科学の活動は現代世界の主要な特性のひとつであり,おそらく他のどの特性にもまして以前の世紀から我々の時代を区別するものだろう.

[1-24]

科学は複合的な社会的活動である

科学研究には多くの人々が携わっており,それぞれに多くの種類の研究を行っている上に,その活動は世界中のあらゆる国々にある程度までおよぶ.多様な国籍・民族を出自とする男女が科学とその応用に参加している.こうした人々,すなわちエンジニア・数学者・物理学者・技官・コンピュータプログラマ・司書といった人々は,科学的知識そのものに関心をもっていることもあれば,あるいは特定の実用的な目的に着目している場合もある.また,彼らの携わっていることも,データ収集であったり,理論構築であったり,器具の開発であったり,あるいは知識の伝達であったりとさまざまだ.

[1-25]

社会的活動としての科学に社会的な価値と視点が反映されるのは避けがたい.たとえば経済理論の歴史は社会的公正の観念の発達と並行している──ある時期には,経済学者は労働者の最適賃金は彼らがかろうじて生存できる水準を超えないと考えていた.20世紀以前には,いや20世紀に入ってしばらくの間も,女性と有色人種は教育や雇用機会の制限によって科学の大半から締めだされていた.そうした障壁を乗り越えたごくひとにぎりの人々にしても,科学の支配的階層によってその研究を矮小化されることが多かった.

[1-26]

科学研究の方向は科学の文化それ自体の内部における非公式の影響に左右される.たとえば,もっとも興味深い問いは何か,もっとも成果のあがりやすい手法は何か,といったことについての支配的な意見に左右される.科学者当人たちによってどの研究提案に助成金を出すべきかを決めるきめ細かなプロセスが発展しており,また,科学者の委員会が様々な学問分野における進捗を定期的にレビューし,資金援助の一般的な優先順位について勧告を出している.

[1-27]

科学は多様な環境で行われている.科学者たちの雇用先は,大学・病院・ビジネスと産業・政府・独立の研究組織・科学団体と多岐にわたる.彼らは個人で研究している場合もあれば,少人数のグループや,あるいは大所帯の研究チームで研究している場合もある.科学者たちの働く場所は,教室・オフィス・実験室,さらには宇宙から海底までの自然環境にわたる.

[1-28]

このように科学には社会的な性質があるため,科学情報の普及はその進歩にとって重要だ.科学者のなかには,その発見や理論を論文で提示し,学会で発表したり科学ジャーナルで出版する人たちがいる.こうした論文によって,科学者は他の科学者たちにじぶんの研究を伝え,みずからの考えを批判にさらすことができ,また,世界中でなされている科学の発展についていくことができる.情報科学(情報の性質とその操作についての知識)の進展と情報テクノロジー(とりわけコンピュータシステム)の発達は,すべての科学に影響している.こうしたテクノロジーはデータの収集・整理・分析を加速し,新たな種類の分析を実用化し,発見から応用までの時間を短縮している.

[1-29]

科学は自足した研究分野に組織されており,さまざまな組織により行われている

組織として見ると,科学はさまざまな領域・研究分野が集まって成立しているものとみなせる.人類学から動物学まで,科学には何十もの研究分野がある.分野どうしは互いにさまざまな点で異なっている.その相違点には,歴史・研究する現象・使用される言語と技法・見込まれる成果の種類などがあげられる.しかし,その目的と哲学に関して言えば,すべての研究分野はひとしく科学的であり,全体として同じ科学という企てを成り立たせている.このように研究分野がわかれていることの長所は,それによって研究とその発見を整理するための概念構造が得られるという点だ.また短所としては,分野の境界が世界の成り立ちと必ずしも合致しない点がある.このために分野どうしのコミュニケーションがときに難しくなってしまうことがある.いずれにせよ,科学の研究分野の境界線は固定されているわけではない.物理学は化学・天文学・地質学に重なる部分があるし,化学もまた生物学や心理学などに重なっている.新しい科学研究の分野(たとえば天体物理学や社会生物学)は他の研究分野の境界に徐々に形成されてきた.研究分野のなかには,複数の下位分野へと細分化してゆくものもあり,そうした下位分野は後に独自の研究分野として成立してゆく.

[1-30]

大学・産業・政府もこの科学という企ての一部を構成している.大学の研究は通常,知識の実用的問題への応用をにらんでいる場合も多いとはいえ,知識それじたいの価値を強調している.もちろん,大学はとりわけ次世代の科学者・数学者・エンジニアたちの育成にコミットしてもいる.産業界・実業界は通常,実用的な目的にむけての研究に力を入れている.しかし,同時にすぐに目に見える応用にはならない研究のスポンサーとなる場合も多い.そうする理由のひとつには,それによって長期的には実りある応用ができると見越しているため,ということがある.連邦政府は大学や企業の研究の多くに助成しているが,同時に多数ある国営の研究所や研究センターでの研究を支援・実施してもいる.また,私立財団・公益団体・州政府も研究を支援している.

[1-31]

資金提供する機関は,どの研究を支援するか意志決定することを通じて科学の進む方向に影響を与える.このほかに人為的に科学を左右するものとしては,危険とみなされる研究活動や実験で使用される被験者・実験動物の扱いに対して連邦政府(および地方政府)が設ける規制があげられる.

[1-32]

科学研究における倫理原則について科学者全般の合意がある

大半の科学者たちは科学の倫理規範にしたがって研究を行っている.正確な記録・公開性・再現性を重んじる確固とした伝統があり,ある研究に対し他の研究者が行う批判的なピアレビューによりこれが下支えされている.この伝統は,圧倒的大多数の科学者たちが専門家としての倫理的ふるまいから逸脱しないよう抑制する機能を果たしている.しかし,ときとして,アイディアや観察の第一発見者として認定されねばならないとの圧力から,科学者が情報をしまい込んだり,あまつさえ発見を歪曲する場合すらある.このようにして科学の真髄に違反することは,科学の発展を阻害してしまう.こうした行為が露見した場合,研究を援助している機関や科学コミュニティにより厳しく非難される.

[1-33]

また,科学倫理には,科学実験により生じる可能性のある危害に関連する領域もある.そのひとつの側面は,被験者・実験動物の扱いである.現代の科学倫理では,実験動物の健康・安楽・安寧にしかるべき配慮を払わねばならないとされている.さらに,人間の被験者が関わる研究は,その被験者に十分な説明をした上での合意(インフォームド・コンセント)がないかぎり実施してはならない.このインフォームド・コンセントには,その研究のリスクと意図される便益の完全な開示と参加を拒否する権利が含まれる.これらに加えて,科学者は,それと知りながら周知し合意を得ることなく協力者・学生・隣人・コミュニティに健康や財産のリスクを負わせてはならない.

[1-34]

科学倫理は,その研究結果の応用により生じる可能性のある危害にも関連している.たしかに科学の長期的な効果は予測不可能ではあるものの,科学研究からどんな応用が期待されているのかは,誰がその研究に援助しているのかを知ることで確かめられる.たとえば,もし国防総省が理論数学で研究する契約を提示したなら,数学者はその研究は新しい軍事技術に応用されるのであり,したがって守秘義務が課せられるだろうと推論できる.軍事機密や企業機密を受け入れられる科学者もいれば,受け入れられない科学者もいる.核兵器や細菌兵器のように人命に多大な危害を加える可能性の高い研究に従事するのを個々の科学者が選択するかどうかは,多くの科学者によって個人の倫理問題であって職業倫理の問題ではないとみなされている.

[1-35]

スペシャリストと一般市民、両方の立場での公務における科学者の参加

科学者は社会的関心事となっている問題について、関係する知識、洞察力、分析技術をもたらすことが出来る。多くの場合、科学者は一般市民やその代表者に、(例えば、自然災害や技術的惨事のような)事象について起こり得る原因について理解させ、(例えば、様々な農法が生態に及ぼす影響のような)プロジェクト化された政策について見込まれる効果を見積らせることができる。また、しばしば、科学者はどういうことが出来ないことであるかということを証言する。このような顧問的な役割を果たすことにおいて、科学者は、事実と解釈とを区別しようとする時、推測や意見からの所見を吟味する時、特に注意深く判断ができる担い手として期待される。すなわち、物事を判断することにおいて、科学者は科学研究の原理を駆使することにより期待されうるものである。

[1-36]

例えそうであっても、科学者は公開討論の事柄に関して、決定的な答えをもたらすことは滅多にない。幾つかの論点は複雑すぎ、現在の科学の領域の中に当てはめることは難しいし、信頼できる情報がほとんどないのかもしれないし、科学の範囲外に本質があるのかもしれない。その上、大部分の科学の知識において、常に幅広い合意(コンセンサス)があるようだが、それは科学に関連した社会的な論点はもちろんのこと、科学的な論点全てに当てはまるものではない。そしてもちろん、専門的知識外の論点において、科学者の見解は全く専門的な信頼性をもたらさないだろう。

[1-37]

それらの仕事の中で、科学者は偏見や先入観を除くために、どんな苦労も惜しまない -- それは他人の偏見や先入観と同様に自分自身についても。しかし、公益に関することにおいて、科学者は、他の人々と同じように、個人的、企業的、所属機関的、あるいは公共的な利益があるような場合、偏見や先入観が確かに存在され得る。例えば、科学者は、科学に対する責務があるため、他の社会的ニーズと比べ、科学がどのようにして成り立っているのかということにおいて、自己の信念をあまり客観視できないということは、理解出来得ることだろう。

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