2008年03月09日

第7章: 人間社会

この章の翻訳を担当したのは、svnseedsさん、マサキチトセさん、uuuuuuuuuuさん、kwsmさん、optical_frogさんです。

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第7章: 人間社会

文化が与える行動への影響

集団行動

社会変化

社会的なトレードオフ

政治および経済のシステム

社会的軋轢

グローバルな相互依存


第7章: 人間社会

[7-1]

種として見た場合、私たちは他の人間の集団の中で生活を営む社会的存在である。私たちは自分自身を様々な社会的集団、例えば遊牧群、村落、都市、国家などに組織して、その中で働き、売買し、娯楽に興じ、子を産み、その他多くのやり方で互いに交流する。他の種とは異なり、私たちは長期に亘って、社会の形成にあたり、社会的な行動および組織に対して意図的な変更を行ってきた。その結果、人間社会の形態は地域、時代、文化間で異なり、現実の社会を非常に複雑で変化に富む環境にしている。

[7-2]

人間の行動に関する洞察は多くの情報源によってもたらされる。ここに提示される見解は主に科学的研究に基づいているが、しかしまた、私たちの自分自身の理解に大きく貢献する、文学、演劇、歴史、哲学、その他の、科学とは異なる学問領域の存在が認められるべきである。社会科学者は、人間の行動を様々な文化的、政治的、経済的、心理学的な観点から、定性的、定量的双方の手法を用いて研究する。彼らは、個人や社会の行動に一貫して見られるパターンと、それらのパターンの科学的な説明を捜し求める。ある場合には、そうしたパターンは、かつては大抵の人々が世界について意識的に考える方法の一部ではなかったにも関わらず、ひとたび指摘されれば明白なことであるように思われることがある。他の場合では、科学的研究によって明らかになったあるパターンによって、人間の行動におけるある側面について人々が長年抱いてきた信念が誤りであることが示されることがある。

[7-3]

この章では、個人や集団としての行動、社会的組織、そして社会的変化のプロセスという観点から見た、人間社会についての提言を取り上げる。ここでは、人類学、経済学、政治科学、社会学、心理学などの、独立した社会科学の領域での知見と一致する理解可能な世界の状況を概観するが、そうした知見そのものやその背後の方法論を記述する試みは行わない。

[7-4]

本章では7つの主要な人間社会における側面、すなわち、人間行動における文化的影響、集団の組織と行動、社会的変化のプロセス、社会的なトレードオフ、政治経済組織の種類、集団や個人の間の対立解消のための仕組み、国家と国家間の社会制度、について述べる。多くの見解はすべての人間社会に関連しているものではあるが、この章では主として今日の米国における社会的特徴に重点を置く。TOP

 

[7-5]

文化が与える行動への影響

人間の行動は遺伝的な要因と経験的な要因の両方に影響される。人がどのように発達するかは、遺伝的にある程度決定づけられた枠組みの中でどのような社会的な経験をするか、どのような環境にいるかによって左右されるのだ。ここでの科学的な問いは、遺伝的にある程度決定されている部分と経験とがどのように作用し合って人間の行動を規定しているのかということだ。

[7-6]

全ての人は、家族、コミュニティ、社会的階級、言語、宗教などの様々な社会的・文化的状況の中に生まれ、そこでいずれ社会的な関係を結ぶようになる。子どもがどのような社会的状況に生まれてくるかということは、社会的な指示・命令・アドバイス、賞与と懲罰、あるいは例示によって、その子がどのように考え、振る舞うかに影響を与える。「状況」とは、すなわち家族・家庭、学校、地域、そして地域ごとの宗教的あるいは法的な団体などを指している。そしてそれに加えてその子自身の、往々にして非形式的な友人・知人・親戚などとの交流や、エンターテイメント/ニュース・メディアなどとの関わりもある。これらに対して人がどのように反応するか、あるいはこれらのうちどれが最も影響力を持つのかということは、なかなか予想できるものではない。しかし同じ影響のパターンを受けた場合、すなわち同じ文化の中で育った場合、その人々の間にはある程度の相似が見られる。更に、話し方、ボディ・ランゲージ、笑いのあり方などは文化的に誘発されている行動であり、そのような行動は個人個人が必ずしも気づくことなく作用することが多い。

[7-7]

全ての文化は、生活の糧を得る方法、取引と政府のシステム、社会的ルール、宗教、衣服・食・芸術の伝統、他人の振る舞いに対する期待、他文化への態度、そしてこれらすべてに対する信念や価値観、といった点において、それらの様式と重要性の関係が、お互いに幾分異なっている。大きな社会においては、宗教、民族的出自、社会階級に関連した、明確に異なった下位文化を持つ多くの集団が存在することがある。もし単一の文化がある地域において支配的である場合、その文化の価値観は正しいものと見なされ、家庭や宗教的な集団においてだけでなく、学校や政府によっても推奨されることだろう。一部の下位文化は特殊な社会的分野(企業幹部や犯罪者など)によって生じることがあり、また一部の下位文化は国境を越えて構成されるこもがある(ミュージシャンや科学者など)。

[7-8]

公平であろうと不公平であろうと、また望ましかろうと望ましくなかろうと、社会的な差別は、ほとんどすべての文化の重要な一部である。差別の形態は地域や時代によって異なり、時には硬直的な社会階級、時には民族的・部族的な階級制度、また時にはより柔軟な社会階級が含まれる。階級の差別は主に財産、教育、職業に基づいて形成されるが、服装、方言、教育や労働に対する態度など、その他の下位文化的差異に関連して形成されることもある。これらの経済的、政治的、文化的な差別は、社会の構成員ほぼすべてに広く認められており、またその一部には嫌悪されてもいる。

[7-9]

人々が生まれついた階級は、彼らが子供時代に身につける言語、食習慣、趣味嗜好、興味関心に影響を及ぼし、その結果、実社会をどのように認識することになるかについても影響を与える。更に、階級は人々が経験するであろう苦難と機会へも影響し、結果として彼らが、進学、就職、結婚、および生活水準を含む、どのような人生を歩むのかをも左右する。現在でもなお、多くの人々は彼らの階級の水準により非常に異なった生活をおくっている。

[7-10]

ある人がどのくらい容易に社会的な階級を変えることができるかは、地域や時代により大きく異なる。人類の歴史のほとんどにおいては、人々はほぼ確実に、彼らが生まれた階級で生き、そして死んでいった。最も多くの人々がより上流の階級に移動したのは、社会が新たな領域(例えば、領土や技術など)に取り組み、そのため、より多くの上層階級の職業が必要となった時代であった。今日でも、世界の一部では、より多くの人々が経済や教育の機会により貧困から脱し続けているが、その一方、別の一部ではより多くの人々が貧困にとどまったままだ。

[7-11]

どのような人々の振る舞いが受け入れられるものと考えられるかは、文化や時代により異なっている。すべての社会的な集団には、その構成員にとって一般的に受け入れられる振る舞いの範囲があり、それは恐らく、大人と子供、女性と男性、芸術家とスポーツ選手のような特定の下位集団にとっての規範を含んでいる。一般的でない振る舞いは、単に愉快であると見なされることもあるし、不快、もしくは罰すべき犯罪であると見なされることもある。ある文化での普通の振る舞いが、他の文化では受け入れられないと見なされることもある。例えば、積極的な競争的態度は、非常に協調的な文化では無礼であると見なされる。反対に、米国のような一部の非常に競争的な社会においては、競争に対する関心の欠如は調和を乱すものと見なされる。しかしながら、世界における文化的伝統の多様性は幅広いものではあるが、ある種の振る舞い(例えば近親相姦、親族への暴力行為、窃盗、強姦など)は、ほとんどすべての文化において受け入れられないものであると見なされている。

[7-12]

受け入れられない振る舞いの社会的帰結として妥当だと考えられていることもまた、社会によって、また社会の内部においてすら、大きく異なっている。犯罪に対する処罰は、罰金や屈辱を与えることから投獄や追放まで、鞭打ちや身体の一部の切断から死刑まで、幅広い範囲に及んでいる。妥当な処罰の形式は、犯罪者が犯罪を繰り返すことを防ぐ、他の人々が犯罪に手を染めることを防ぐ、もしくは単純に罪の報いとして苦難を与えるという目的の様々な理論に影響を受けている。処罰が犯罪の抑止に成功しているかどうかは、一部には同様の犯罪に異なる処罰を与える実験に倫理的な制約があること、また一部にはその他の要因を一定に保つことが困難であることから、研究が難しい。

[7-13]

技術は長期にわたり、人間の振る舞いにおいて大きな役割を果たしてきている。世界の多くの地域で新しい技術的な発明に高い価値が認められていることが、より迅速でより安価な通信と移動を実現し、その結果、服装、食べ物、音楽、その他の娯楽の流行やアイデアの急速な普及をもたらしている。書籍、雑誌、ラジオ、そしてテレビが、服の着方、子供の育て方、お金儲けの方法、幸福の見つけ方、結婚、料理、そして愛の営みについて説明している。それらはまた、子供、両親、教師、政治家、スポーツ選手などの人々の振る舞いや、また彼らの暴力、性行為、少数民族、男性と女性の役割、合法性に対する態度を描くことで、価値、願望、重要事項を暗黙のうちに普及してもいる。TOP

 

[7-14]

集団行動

人々はじぶんが生まれついた社会的・文化的環境に属すばかりでなく,共通の職業・信念・利害関心から自発的に集団に加わる(組合・政党・クラブなど).こうした集団に属すことで,人々のじぶんについての考え方や彼らについての他人の考え方が影響される.こうした集団は期待や規則を課すことでメンバーの行動をより予測しやすく,集団の機能をより円滑にし,そのアイデンティティを維持する.そのような規則には,たとえば懇親会でのふるまい方のように非公式で実例をとおして伝えられるものもあるし,文章化されて厳格に施行されるものもある.公式な集団は,じぶんたちが奨励する行動を示すために報奨(賞賛・賞・特権)や処罰(脅し・罰金・謝絶)をもちいることがよくある.

[7-15]

自発的にであれ生まれによってであれ,社会集団に所属すると,メンバーは人数の多さによる利点を享受できる:その利点には,資源を蓄える可能性(お金や労働力など),団結しての行動(ストライキ・ボイコット・投票など),アイデンティティと承認(組織・記章・メディアの注目など)があげられる.どの集団であれ,メンバーたちは一定の態度をもっており,これにはじぶんたちが他集団より優れているというイメージもしばしば含まれる.このことは集団内部の結束を固める役に立つが,ときとして他集団との深刻な軋轢を生じさせることもある.他集団に対する態度にはステレオタイプ化が関わっていることが多い──集団のメンバー全員をあたかも同質であるかのようにみなしたり,メンバーのじっさいの行動のうち観察している側の先入見に合致する性質だけを認識したり,というように.このような社会的偏見には,医者や聖職者なような特定のカテゴリーの人々を盲目的に尊敬することや外国出身者や女性といったカテゴリーの人々を盲目的に蔑むことが含まれることがある.

[7-16]

集団の行動は,たんに個々人の行動を総計するだけでは理解できない.たとえば,近代戦争は個人の攻撃的習性の総和としては理解できない.ひとりの人物でも,群衆の中にいるとき──フットボールの試合や礼拝式,争議中のピケットなど──の行動とひとりのときや家族といるときの行動はちがってくるかもしれない.ひとりひとりではそんなことをしないのに,子供が数人いっしょになってビルの中をむちゃくちゃにしてしまうこともありうる.同様に,大人の場合も,ただの個人でいるときに比べてクラブや宗教的集団のメンバーである場合の方が,より他者の求めに対して寛大でものわかりがよくなることがよくある.集団をなしている状況では,その集団の共同行動を受け入れこれに同調すると報奨が与えられ,特定の誰かを非難したり称えるのが難しくなる.

[7-17]

社会的組織は,その公式の存在目的のみにとどまらず,他の多くの目的に寄与していることがある. 気晴らしを目的とする私設のクラブがビジネスの取引を行う重要な場となっているケースは頻繁にある;学習と学術研究の推進を公式の目的として存在している大学は,階級格差を拡大したり縮小したりする助けとなっていることがある;ビジネスや宗教の組織は,収益をあげたり人々に奉仕する以外の政治的・社会的アジェンダをもっていることもしばしばだ.多くの場合,集団の非公式の目的は特定カテゴリーの人々をじぶんたちの活動から排除することとなっている──これもまた差別の一形式である. TOP

 

[7-18]

社会変化

生物種と同じく社会もまた,テクノロジーの発展や政治的伝統といった内的な力によって部分的に制約されたり切り開かれたりした方向に進化してゆく.ある世代の条件が次の世代に開かれる可能性の幅を制限・形成する.まず一方で,それぞれの新世代はその社会の文化的な形式を学ぶので,食物の生産・軋轢への対処・若者の教育・統治などの方略をあらためて発明しなくてすむ.他方で,それぞれの新世代は先行世代から引き継がれた未解決の問題に取り組まねばならない:たとえば,戦争につながりかねない緊張・広範囲にわたる薬物濫用・貧困と欠乏・人種差別・個人や集団のきりのない不満といった問題がそれだ.たとえば合衆国の初期の歴史における奴隷制の禍根は,いまなおアフリカ系アメリカ人に,そして一般にアメリカの経済・保健・司法制度に深刻な影響を与えている.さまざまな不満は,人々にそれを容認させるだけで解決されることもあれば,社会構造の革命としてあふれ出るかもしれない。多くの社会は、国境、宗教、過去の過ちに関する思いのこめられた信念を巡って、数世紀にわたって続く他の社会との紛争を続けている。

[7-19]

一般に政府は社会変化を設計する際に政策・法律・インセンティヴ・強制の手段をもちいる.場合によって,こうした試みが効果的にはたらいて社会的軋轢を回避するのが可能となることもあれば,逆に事態を悪化させてしまうこともある.たとえば,ソ連ではじぶんの私有地を耕したいという農民たちの意志に反して農業集落をつくったが,これは武力行使で何百万人もの人命を失ってはじめて実現された.合衆国の奴隷解放は血なまぐさい内戦を経てようやく達成された;その後100年たって,はっきりしたかたちの人種隔離は一部地域において法的措置・裁判所の差し止め命令・軍による警備によってはじめて撤廃された──そして,いまでも主要な社会問題であり続けている.

[7-20]

外的な要因──戦争,移住,植民地統治,移入された概念・テクノロジー・疫病,自然災害──もまた,それぞれの社会の進化の仕方を形づくる.たとえばソ連は両世界大戦で被った壮絶な損失によってその前途に大きな影響を受けている.アメリカン・インディアンの社会は欧州からの植民者たちがもちこんだ疾病と戦争によって荒廃し,追い払われてしまった.合衆国では,アフリカ人の強制的な移入と欧州・ラテンアメリカ・アジアからの相次ぐ移住の波によって国内の文化的多様性が拡がると同時に,政治・経済・社会のシステムが大きな影響を受けてきた.嵐や干魃といった自然災害は栽培作物の不作をもたらすことがあり,これにより欠乏・飢饉が生じる.さらには,ときとして移住や革命につながることすらある.

[7-21]

コミュニケーションや輸送が簡便になることによっても社会変化は促される.それまで地理的・政治的に隔絶していた集団どうしが互いの思考・生活・行動の様式のちがい,さらに場合によっては大木に異なる生活基準の存在をかつて以上に意識するようになる.移住やマスメディアは,たんに文化的混交をみちびくばかりでなく,一部の文化の根絶と別の文化の急速な進化にもつながっている.世界規模のコミュニケーションと輸送が容易になるにしたがって,価値と常識の衝突が余儀なくされた──これはプロパガンダのように意図的な場合もあれば,商業的価値の追求のようにたんなる偶然の結果である場合もある.

[7-22]

人口の規模,住人の特定地域への集中,および人口の成長パターンに影響するものには,物理環境と文化の諸相とがある:後者は経済・政治・テクノロジー・歴史・宗教などのことだ.経済問題に対応する際に政府がとる政策はさまざまに異なる──ある政策は人口の成長を抑制し,ある政策はこれを促進する.宗教的集団の中には,人口問題に対して強固な立場をとるものもある.たとえばローマ・カソリック教会は長きにわたって産児制限反対のキャンペーンを続けているが,その一方で近年になって他宗教の指導者たちは家族数を抑制するために産児制限を行うのを支持するようになっている.

[7-23]

多くの人々は,子供を産むかどうかを決めるに際して,政府の政策や宗教の教えとはあまり関係なく,実際的な問題を考慮している.たとえば母親の健康リスク,経済的・社会的な観点でみた子供の価値とコスト,居住空間の大きさ,親としてやっていけるかどうかの個人的感情といったことがそれだ.世界の一部地域では──さらにどこの国であれ教育の乏しい集団では──男女のカップルが現代的な産児制限の情報とテクノロジーについてほとんど知らなかったり,これらへのアクセスがなかったりするものである.合衆国では,若者の性的関係が安易になる傾向にともなって,予期せぬ妊娠や意に反した妊娠の数が増加している.

[7-24]

これと逆方向に,社会制度も人口に影響される──人口の規模,その変化率,(年齢・性別・言語などの)性質が異なる人々の比率といった要因の影響がある.人口規模が大きく増加すると,職業の専門化,政府が負う新たな責任,新しい種類の制度が増え,いっそう複雑化した資源分配を整備する必要が生じる.下位文化がいっそう多様になれば,必要となる対応策もその分だけ多様になる.人口形態もまた社会的優先事項の変化に影響する.人口形態が変化している場合にはとくにそうだ.ある社会集団の規模が増加すると,その集団が社会に及ぼす影響も増加する可能性がある.その影響は,市場を通じてのものである場合もあれば(たとえば集団としての若者が運動器具をより多く買うようになるなど),投票力による場合(たとえば年配の人々が学校債の立法に投票する可能性は低い),あるいは社会計画の立案者が必要を認識するようになる場合もある(たとえば家庭の外で働く母親が増えれば児童保育プログラムが必要となる). TOP

 

[7-25]

社会的なトレードオフ

個人にとっても集団にとっても、いくつかの便益と費用からなる選択肢から選び出す行為は避けがたく存在する。私たちが求め、欲するものを手に入れようとするとき、通常は、既に持っているものを手放すか、少なくとも代わりに他のものを手にする機会を諦める必要がある。例えば、国民が高速道路や学校のような政府出資のプロジェクトに全体として多くを費やせば費やすほど、防衛費は少なくなる。(もし、財源や負債を拡大させないことが既に決定されていれば、の話だが)

[7-26]

社会的なトレードオフは経済的あるいは物質的であるとは限らない。ときに、私たち個人の権利と公共の福祉との間にも持ち上がることがある。公共の場での喫煙、ペットの後始末や高速道路の速度制限に関する法律はある種の人たちの個人の自由を他の人たちの便益のために制限する。他にも、社会的トレードオフの選択は美意識と有用性の間にも出現する。例えば、大規模な集合住宅の建設計画は将来的な住人には歓迎されるが、近隣の住民には反対されるだろう。

[7-27]

どのような方法でトレードオフを決定するべきか、については多様な考えが存在する。その結果、妥協に落ち着くこともあれば、頑なに衝突を続けることもある。錯綜する利害をどのように扱うか、は個人や集団が持つ相対的な資源の量や力関係に依存することが多い。影響力のある人物が計画に含まれている、問題に関連するエキスパートから情報が得られる、価値と権力抗争が明確に理解されており意思決定の過程に組み入れられている、などの場合には社会的な改革へ向けた平和的な努力が功を奏すことが多い。

[7-28]

現行の方法を修正すべきか、それとも全く新しい方法を開発すべきか、は往々にして悩ましい問題である。一方では、面倒な状況をその場凌ぎに取り繕って我慢していると、背後に潜む問題への根本的な対応がなされないことになる。だが、もう一方では、問題があるシステムをすべて置き換えようと急くこともまた更なる問題を産むことになるのだ。

[7-29]

社会的な選択肢の潜在的な便益を比較することは難しい。一つには、財の異なる形態を測る尺度が存在しないからである。富と社会的正義を直接比べる秤は存在しないのである。今一つの理由は、例えば公共教育や最低賃金の問題のように、社会的な財の形態が同一であっても、集団によって全く異なる価値観を有するということである。例えば、一億人もの人口においては、0.01パーセントという失業率(この数字は取るに足りないほど小さい、と考える人もいるだろう)が意味するものは、一万の職(別の人たちにとっては、この数字は非常に深刻であるかもしれない)が失われたということである。

[7-30]

社会的なトレードオフにおける帰結の判断は、また新たな問題を引き起こす。一つは、距離の影響である。物理的あるいは時間的に距離があればあるほど、重要性が低く見積もられがちなのである。例えば、都会の住民は農業に従事している人たちと比べれば、国家として農作物を支援する法律の制定に協力的ではないだろうし、逆に農業に従事している人たちは、連邦税が都心の住宅供給に用いられることを望まないかもしれない。個人として、私たちはたとえ遠い未来に悪い結果をもたらそうとも目先の楽しみには抗しがたく、来るべき利益のために目先の楽しみを我慢することも難しい。社会においても同様に、私たちは目先の利益(例えば、石油や鉱物の急激な使用)を長期的な結果(資源が枯渇して私たちや子孫が後に苦しむかもしれない)よりも優先しがちなのである。

[7-31]

社会的なトレードオフにおける距離の効果は、そもそも潜在的な便益と費用が生じるのかどうか、という不確定性によってしばしば増大する。ある社会的な決定によって起こりうる結果の確率を算出できることもある。例えば、避妊なしでセックスをすれば、おおむね四回に一回は妊娠という結果に出くわすだろう。この場合、もし起こりうる全ての結果の相対的な価値を測ることが出来るなら、結果の確率と価値を組み合わせて、どの選択肢に賭ければ良いかを計算することが出来るのかもしれない。しかし、確率と価値の両方を測りうるとしても、その情報をいかにして同時に俎上に載せるかは議論の余地がある。特定のリスクを恐れるあまりに、そのリスクの可能性は限りなくゼロに近づけるべきだとの主張がなされ、もたらされる利益やその他のリスクがどの程度存在するか、に注意が払われなくなってしまうことがあるかもしれない。

[7-32]

さらには、社会的な選択肢に関する決定は、通常の場合、反対派の存在によって複雑化する。何らかの結果を意図して社会的な計画が行われるとき、その結果に対する促進派あるいは反対派の創意工夫によって、結果はさらに不確定なものになるのである。TOP

 

[7-33]

政治および経済のシステム

多くの国では、権力と権威は、通常は利害の調整を目的として、政治的駆け引きを通じてさまざまな個人および集団に分配される。政府はそのような政治的闘争を経て、選出または任命、ときには武力によって産出、される。政府機関はルールを作成、解釈、試行する権力を持ち、国家をどのように運営するかを決定する。

[7-34]

政府機関が定めるルールは人間に関する事柄を広く包含し、商業、教育、婚姻、医療、雇用、兵役、信教、旅行、科学研究から意見交換に及ぶ。中央政府や地方自治体は個人や民間組織が自ら行うよりも効率的であると信じられているサービスに関して、責任を付与されている。例えば、合衆国憲法は連邦政府が信書の配達、国勢調査の実行、貨幣の鋳造および国防についてのみ責任を負うことを定めている。しかしながら、アメリカ合衆国社会の肥大と複雑化によって、政府が行う活動も拡大し続けている。

[7-35]

今日においては、連邦政府は教育、福祉、公民権、科学研究、気象予測、運輸、国立公園のような国家資源の保護などに至るまで所管している。国、州、地方自治体それぞれが持つべき責任は政府高官によって協議されるが、政府高官は選挙民および企業、軍部、農業関係者や労働組合のような権力中枢の影響を受けるのである。

[7-36]

政治と経済のシステムは国によって多くの点で異なっている。財やサービスの価格決定の方法、新事業の財源、政府による利益上限の規制、資金の調達から消費および管理、経営者と労働者の相互および政府との関係、などの点である。政治のシステムは経済のシステムと密接に結びつき、個人や集団のすべて階層の経済活動の審判を担っている。

[7-37]

国家経済を両極に位置する二つの主要な理論モデルによって考察しよう。一方の極は純粋に資本主義のシステムである。このシステムは、自由競争によって、希少な資源の配分は最適化され最高の生産性と効率が最低の費用で実現することを想定している。誰が何を為し、誰が何を得るかは、市場における消費者と企業の相互作用によって決定される。市場においては、価格は生産に要した費用や人々が払っても良いと思う金額の強い影響を受ける。企業の多くは個人や自発的な集団によって創設される。工場の建設のように一個人が利用可能な量を越えた資源を必要とする場合は、銀行からのローンか企業の共同所有権を売り渡すことによって他者から調達する。各々に競争に対する動機づけを行うために、土地、向上、船舶などの生産に要する資源の私的所有権を認めることと生産や交易に対する政府の介入を最小限にすることとが求められる。資本主義の理論では、個人の自発性、才能および精励によって成功と富がもたらされ、個人の政治的、経済的な権利は保障される。

[7-38]

両極のもう一方の極は純粋に社会主義のシステムである。このシステムは、何を生産し誰にいくらで配分するかを政府が計画すれば、賢明かつ公正な分配が完全に達成されることを想定している。私的所有権は所有者の強欲と労働者からの搾取に繋がるという考えに基づいて、生産に要する資源はすべて国家が保有する。社会主義の理論では、人々は私財のためではなく社会の利益のために労働し、能力を発揮する。政府は人々に対して、才能や努力ではなく相対的な必要性に基づいて公平に配分する。社会全体の繁栄は個人の権利に優先すると見なされる。

[7-39]

しかしながら、純粋に資本主義のみや純粋に社会主義のみの国家は現実には存在しない。世界のどの国も両方の要素をいくばくかは含んでいる。このような融合形態は現実的には無理からぬことである。

[7-40]

純粋に資本主義のみの国を考えてみよう。その国では自由競争はほとんど起きないだろう。なぜなら、いかなる資源も製品もサービスもごく少数の企業や組織が市場を独占し、自由競争が可能な水準よりも高い価格を請求するからだ。経済的には不適切な社会的態度に基づく差別(例えば、少数派や女性に対する差別や友人や、親戚に対する優遇など)によっても、自由競争は理想から歪められてしまう。そして、たとえシステムが効率的であったとしても、一部の人たちは莫大な富を蓄積し、別の一部の人たちは絶望的な貧困に陥りがちになってしまうのだ。それゆえに、例えばアメリカ合衆国では政府が注意深く自由市場に介入することによって、資本主義の経済システムにおける極端な影響を制限することを試みている。このような市場介入として、累進課税、貧困者への福祉、一企業の経済力を制限する法律、国家間の貿易交渉、不正な広告や危険な製品および差別的な雇用の制限、農工業に対する国家的な補助金などが行われている。

[7-41]

では、純粋に社会主義のみの国はどうか?なるほど、この国は平等かもしれない。しかし、個人の主体性を無視したり国家経済の細部に至るまで計画を立てようとした結果、システムが非効率になってしまいがちである。人々が努力することへの動機づけがなければ、生産性は低くなりやすいものである。さらに、個人が意思決定を行う自由がないので、短期的な需要と供給の変動に応じることが難しい。結果、消費財を現実の需要と供給に合わせるために、地下経済がはびこってしまう。それゆえに、多くの社会主義システムでは、部分的に自由競争を許し、個人の主体性と私的所有権の重要性を認めている。今日の世界経済は、より資本主義的な理念と実践を採用する国家も、より社会主義的な理念と実践を採用する国家もあり、模索が続けられている。 TOP

 

[7-42]

社会的軋轢

すべての人間社会には軋轢があり,またすべての社会にはそれを規制するシステムがある.個人間や集団間の軋轢は,しばしば資源・権力・地位をめぐる競争から生じる.家族どうしは配慮をもとめて争う.個人どうしは仕事や富をもとめて争う.国どうしは領土と国威をもとめて争う.利害関心の異なる集団どうしは規則をつくる影響力と権力をもとめて争う.資源ではなく考えをめぐって競争がなされることもしばしばある──個人や集団が,別の集団が抑圧したり罰したり違法と定めた考えや行動を求めるのだ.

[7-43]

社会変化はときに軋轢を生じさせるほどの力をもつ場合もある.提案された社会的・経済的・政治的な変化がその社会システムのあらゆる部門を等しく利することはもしあるとしても稀であり,よってみずからがそれによって敗者になりかねないと考える集団はこれに抵抗する.どんな変化であれ,それに賛同する側と反対する側の双方が,それが起こった場合と起こらなかった場合それぞれの結果をすべて説得力をもって予測することができないとき,相互の敵意と不信は悪化してゆく.軋轢がとくに深刻化するのは,可能な妥協点が皆無で選択肢がわずかしかないときだ──たとえば,降伏か戦争か,案Aか案Bか,というような場合がそれである.たとえ争点が入り組んでいて当初は人々の見方がそれほどにかけ離れていなくとも,あれかこれかを決める必要があるために,いずれの選択肢が望ましいのかに関するみずからの判断を支持しようと人々が極端な立場になだれを打つこともある.

[7-44]

家族集団や小さな社会では,法をきめるのは親や年長者といった承認された権威だ.しかし,ほぼ全ての集団──大学の学部から地域のスカウト団まで──は規則を決めたり争議を仲裁する手順を定めている.さらに大規模なところでは,政府は法律をつくりこれを執行することで軋轢に対処する仕組みを提供している.民主主義において,政治体制は選挙を手段にして社会的軋轢に対処する.議員の立候補者たちはみずからの意図する法律の制定・修正案を喧伝し,人々は最良の意図とそれを実現する最良の機会とじぶんがみこんだ人物に投票する.しかし,複雑な社会的トレードオフをする必要があるため,おうおうにして政治家たちが議会においてみずからの意図をすべて実現することはできなくなっている.

[7-45]

好きに往来する自由,武器所持の自由,デモを組織する自由など,こうした自由の願望は,公共の安寧の願望と衝突してしまう場合もある.断固たる敏腕な意志決定──極端な場合は独裁となる──を求めることは市民参加──極端な場合は誰もが何もかもについて投票する民主政治となる──を求めることと衝突することがある.法や政策を創出する場合,たいていは様々な利害集団どうしの熟慮をかさねた交渉の末に妥協がなされるものだ.自分たちが重要とみなしていることに特別の関心をもつ小集団は,その単一の問題をもとにメンバーたちの票をかため,これによってもっとまとまりの緩い多数派に譲歩を要求することができるようになる場合もある.

[7-46]

社会の多数派がある社会的意志決定に合意したときにも,それに賛同しない少数派に保護が与えられることもある.たとえば合衆国の政治体制において,連邦政府および州政府の憲法は,支持者がどれほどの多数派を形成していようと選挙で選ばれた議員によって変更され得ない市民の権利を確立している.こうした憲法の変更には,通常,たんなる過半数ではなくてすべての有権者の3分の2または4分の3という圧倒的大多数が必要とされる.

[7-47]

政治的少数派がとる方略のひとつに,利害関心の一部を同じくする他の小集団たちと一時的にであれ力を結集する,というものがある.少数派集団の連合は,ときに多大な影響力をもちうる場合がある.さらには,共通の利害関心が相違点に優先するかぎりにおいて,少数派の連合が多数派となることすらありうる.

[7-48]

これと同様の政治的権利の保護は, 連邦議会と大半の州政府における二院制によっても与えられている.たとえば議会において下院は人口の比率に応じた代表をもっているため,我が国のすべての市民が同等に代表されている.他方で上院ではそれぞれの州から人口に関係なくちょうど2人ずつ議員が選ばれており,したがってどれほど小さい州の市民でも他のどんな大きな州の市民とも同等の代表をもっている.

[7-49]

これに加えて,さまざまな社会で,軋轢を周知する非公式の方法がたくさん発達している.たとえば討論,ストライキ,デモ,世論調査,広告がそれであり,さらには演劇,歌,マンガもそうだ.不満のある小集団には,マスメディアによって,非常にみえやすいかたちで公式声明をだす自由な手段が与えられている.こういった手段・方法は,対立をやわらげ妥協をひきだすこともあれば,逆に火をつけて相違を二極化してしまうこともある.軋轢の解決や緩和に失敗すると,社会システムに多大な圧迫が加えられる.変化する能力がなかったりその意思がないために,いっそう高い水準の軋轢がもたらされるかもしれない:訴訟,サボタージュ,暴力,全面的な革命,さらには戦争といった段階へとすすんでしまうかもしれないのだ.

[7-50]

集団どうしの軋轢や訴訟などがもちあがったとき,社会の一部がみずからの好む意志決定の実現にこぎつけたからといって,必ずしもそうした軋轢がおさまるとはかぎらない.その場合,抵抗集団はその変化を逆転させたり修正したり阻害するような措置にでるかもしれず,そのときには軋轢は続行することとなる.しかしながら,軋轢は集団の行動を堅固にすることもある.国であれ家族であれ,危機に際してはいっそう結束を固くする傾向がある.これにより,自集団内部での緊張は緩和され,互いの助け合いが強くなる. TOP

 

[7-51]

グローバルな相互依存

国際経済システムと共通の環境問題(核兵器のグローバルな影響や森林破壊,酸性雨など)をとおして,諸国と諸文化はますます互いの依存関係を深めるようになっている.また,海外旅行やマスメディアをとおしてお互いについてもっと知るようにもなってきた.グローバル・システムはその結びつきを強めており,ある地域での変化が他の地域に多大な影響をもたらすようになっている.たとえば,地域紛争はその国境を越えて他国にまでおよび,石油価格の変動は世界中で経済の生産性・貿易収支・利率・雇用に影響する.ほぼ全ての国の富・安全・一般の福祉は互いに関係し合っている.孤立主義政策はもはや維持しがたく,核兵器の拡散を管理したり世界金融システムを激しい変動から守るといったグローバルな問題の対応にはすべての国の協調行動が不可欠であることに関して,大半の国々の指導者たちは合意を形作りつつある.

[7-52]

国どうしは 多種多様な公式・非公式の制度をとおして関わり合っている.公式の制度には,外交関係,軍事・経済の連合,国際連合や世界銀行といったグローバルな組織などがある.しかしながら,国の政府と異なり,グローバルな組織はそのメンバーに対して限られた権威しかもっていないことがよくある.非公式な制度には,文化的交流,旅行者の出入国,留学生の交流,国際貿易,世界中に会員を有する非政府組織(アムネスティ・インタナショナルや反飢餓キャンペーン,赤十字,スポーツ団体など)の活動などがある.

[7-53]

ある国の豊かさは,その労働者の営為と技能,天然資源,そうした技能や資源を生み出すのに利用可能な資本とテクノロジーに左右される.しかし,国の豊かさを左右するのは,その国がみずからどれだけ産出できるかだけではない.その生産物を他国がどれほど求め,他国の生産物を自国がどれほど求めるかの収支によっても左右される.国際貿易は,石油や食用作物といった資源や生産物が不足していることによってのみ生じるわけではない.たとえ自国で必要なものをすべて生産できるとしても,他国との貿易から利益がえられるのである.ある国が(品質やコスト,またはその両方の点で)もっとも効率よく生産できるものを生産し,その生産物を他国に売るなら,理論的にはそのシステムによりすべての参加国の状態を改善するのが可能となる.

[7-54]

しかしながら,現実にはさまざまな要因が影響して,国際貿易の経済的現実をゆがめている.たとえば,貿易を阻害することのある要因としては,経済的・政治的に力の勝る諸国による搾取に対する恐怖,外国との経済的競争で負けてしまう一部労働者の集団を保護せよとの要求,将来の紛争において利用不可能になりうる一部の生産物を外国に頼りたくないとの意志などがあげられる.

[7-55]

国際的なつながりは強まっているため,国際政策と国内政策の区別は多くの場合にはっきりしない.たとえば,我々の購入する自動車や衣服の種類と値段を決定する政策は,国外貿易と国際収支にもとづいている.自国の農業生産物は国内政策だけでなく海外市場にも左右される.国際市場はすべての国にとって有益なものではあるかもしれないが,たとえそうだとしても,それぞれの国の一部の集団にとっては不利益なものとなるかもしれない.たとえばアジア諸国で安く自動車を生産すれば全世界の自動車購入者にとって利益となるが,同時に他の国の自動車メーカーは仕事を失ってしまう.みずからの宗教的・政治的イデオロギーに関して強い合意をかためている国は,そうしたイデオロギーを他国に積極的に広め競合する思想をもつ集団を弱体化する外交政策を追求するかもしれない.

[7-56]

世界の社会的・経済的・環境的システムの相互依存が強まることで,社会的決定の合意について予測が立てにくくなっている.世界のどの地域の変化も,増幅されてそれ以外の地域に影響を及ぼし,ある人々に利する一方で他の人々には負担をかけることがありうる.また,ある変化により不安定性と不確実性がうまれ,すべての人々に不利益がもたらされる可能性もある.世界の安定は,諸国がビジネスや情報交換の制度をより信頼できるものにし,グローバルな破滅を警告する監視機構を発展させ,もっとも富める国ともっとも貧しい国の生活水準の大きな格差を縮小するかどうかにかかっているのかもしれない.社会システムに参画する人々の場合と同じく,諸国もまた,短期の損失を被りつつ世界経済の安定という長期の利益を達成することの方がみずからにとって有益とみることもときにあるものだ. TOP

この記事へのコメント
7章は終了しています。
[7-7]-[7-13]
http://d.hatena.ne.jp/svnseeds/20080415#p1
(svnseedsさん)
Posted by hoyt at 2008年04月26日 20:08
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