2008年03月09日

第13章: 効果的な学習と指導

この章の翻訳を担当したのは、potasiumchさん、optical_frogさんです。

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Chapter 13: EFFECTIVE LEARNING AND TEACHING:[13-27]〜[13-31] - left over junk
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第13章: 効果的な学習と教育

学習の原則

科学、数学、技術教育


第13章: 効果的な学習と教育

[13-1]

 「Science For All Americans」は生徒が何を学ぶべきかを重要視しているが、科学がどのように教えられるかもそれと同様に重要なことだと認識している。授業計画を考える際、効率的な教師は、日々解明が進む学習の性質についての研究成果や、長年吟味されてきた指導法に関する高度な知識を利用する。通常、彼らは学習内容についての特別な性質、生徒の経歴、そして教育や学習が行われる場の状況を考慮する。

[13-2]

この章では−―系統的でなく網羅的とも言えないが――このような教師のやり方を特徴付ける、学習と教育についてのいくつかの原則について述べる。それらの原則の多くは学習と教育について一般に適応できるものであるが、そのうちのいくつかは特に科学、数学そして技術の教育に重要なものである。簡便のため、ここでは学習と教育は別の項で紹介するが、それらは密接に関連するものである。 TOP

 

[13-3]

学習の原則

教育した内容が必ずしも学習されるわけではない。

認知科学の研究は次のことを解明しつつある―良いと思われる指導法を使ったとしても、非常に優れた学問的才能を持った生徒も含む多くの生徒が、私たちが思っているほどは授業内容を理解していない。真剣にテストを受ける生徒は、一般に彼らが教えられたことや読んだものを確認できるとされる。しかしよく観察すると、彼らの理解は、必ずしも全てが間違いではないにしても、限定的なものか歪んだものであることが多い。このことは、教育目標を設定する際には節減が重要であることを示唆している。学校は、最も重要な概念や技能を選びそれを強調することで、生徒が情報の量ではなく理解の質を上げることに集中できるようにするべきである。

[13-4]

生徒が学ぶことは彼らの中に既にある考え方に影響される。

教師や本がどんなに明確に物事を伝えるかにかかわらず、人は自分の中で固有の意味を形成する必要がある。ほとんどの場合、人は既に持っている考え方と新しい情報を結びつけることによってこの意味形成を行う。生徒が考える世界観との間に複数の結びつきが生じないような概念(人の思考の基本的な単位)は、すぐに忘れられてしまうか、有用なものにならない。あるいは、もし彼らがそれを記憶にとどめていたとしても、それらは例えば「生物学、1995年」と書かれた頭の中の引き出しにしまわれ、世界の別の側面に関する考え方に影響を及ぼすことは出来ない。概念は、様々な文脈の中で遭遇し様々な方法で表現されるときに最も良く学習されるのであり、それは生徒の知識体系に組み込まれる機会を増やすことにもなる。

[13-5]

しかし、効果的な学習のためには、新しい考え方と古い考え方を結びつける以上のことが要求されることがある。時には、考え方の劇的な再構築が必要とされる。つまり、新しい考え方を受け入れるために、生徒は彼らが既に知っている物事の間のつながりを変化させるか、更には長年培ってきた世界観のある部分を捨て去ることが必要になる場合がある。この必要不可欠な知識の再構築の代替策は、新しい情報を歪ませて古い考え方と馴染むようにするか、あるいは新しい情報を完全に拒絶してしまうことである。生徒は彼らが出会うほとんど全ての事柄について、自分独自の考え方を持って学校に来る。あるものは正しく、あるものは間違っている。もし彼らの直感や誤解が無視されるか深く考えずに拒絶されてしまうと、往々にして彼らの元々の信念の方が長期的には勝ち残ってしまう―たとえテストでは教師が望む答えを出していようと。単に矛盾を提示するだけでは不十分であり、新しい視点がいかに世界をより合理的に理解するために役に立つかを教えることで、生徒が新しい視点を発達させる後押しをする必要がある。

[13-6]

学習は通常の場合、具体から抽象へと進展していく。

若い人がもっとも容易に学習できることは、具体的で彼らの感覚によって直接体験することが出来ることである――見て、聞いて、触って、体を動かして感じられるものだ。経験を積むにつれ、彼らは抽象的な概念を理解し、記号を操作し、理論的に推論し、一般化するという能力を伸ばしていく。しかしこれらの能力はゆっくり成長していくものであり、新しい考え方を学ぶ際の具体例への依存はほとんどの人にとって一生持続する。具体的な経験が学習に最も効果的なのは、それがお互いに関連付けられた何らかの概念的な構造を持つ文脈に沿って生じたときである。生徒が抽象的な概念を学ぶことの難しさは、しばしば彼らが本当は理解していない技術的な単語でもそれを覚えて復唱できてしまうことによって隠蔽されてしまう。その結果、教師は――幼稚園から大学まで――時に生徒の抽象概念を扱う能力を過大評価してしまい、生徒が正しい単語を使えるということだけで彼らがそれを理解していると考えてしまう。

[13-7]

人は訓練したことについてのみうまく出来るようになる。

もし生徒がある考え方を新しい状況に適応できる状況があるなら、彼らはそれを適応する訓練をしなければならない。もし彼らがありきたりな練習問題や非現実的な「言葉遊び」に答えを出すことしか練習していないなら、彼らはそれしか学べない。同様に、批判的に考えること、情報を解析すること、科学的な概念について話し合うこと、筋の通った論拠を作ること、チームの一員として働くこと、その他の望ましい能力を獲得することは、生徒がそれらをすることを許されかつ推奨され、様々な文脈の中で何度も繰り返しそれらを行うことを通じてしか学ぶことが出来ない。

[13-8]

効果的な学習にはフィードバックが必要だ。

単なる作業の反復は――それが単純なものでも知的なものでも――能力を高めることやより鋭い見識を得ることにはつながりにくい。往々にして効果的な学習が行われるのは、生徒が自分の考え方を表現し、それについて仲間からのフィードバック(反応)を得られるような場合である。しかしフィードバックが学習者にとって最も効果的なものになるには、単に正解を提供するという以上のものである必要がある。フィードバックは分析的で示唆に富み、また生徒がそれについて興味を持っているときに与えられなければならない。そして生徒が受け取ったフィードバックに反応し、それについて調整と再挑戦を行う機会があることが必要である――これが多くの試験(特に期末試験)の際に忘れられがちな要件であることは記すに値する。

[13-9]

予想は成果に影響する。

生徒は、何は学べそうで何はそうでないかという自分自身の予想に影響を受ける。もし彼らが何かを学べると信じているなら、それが式を解くことであろうと自転車に乗ることであろうと、たいていの場合何らかの進展がある。しかしもし彼らが自信を失っているなら、彼らはうまく学ぶことが出来ない。生徒は学習に対する成功体験を積み重ねることで自信をつけていく。同様に繰り返し失敗をしていると自信を失う。このため、教師は生徒に難しいけれども達成可能な課題を出し、彼らが成功することを助ける必要がある。

[13-10]

更に、生徒は彼らに対して他人が抱いている予想に対しても敏感である。家族やカウンセラー、校長、友人、より一般的にはニュースメディアが示す肯定あるいは否定の予想は生徒に影響を与え、それによって学習に対するふるまいも変化する。例えば、もし教師がある生徒の特定科目に対する理解力に自信がないという合図を発してしまえば、その生徒は自分の能力に自信を失い、その合図がなかった場合より成績を悪化させるかもしれない。もしこの見かけの失敗が教師の元々の判断を強化するなら、それは自信と成績の低下という負の連鎖を引き起こす。 TOP

 

[13-11]

科学、数学、技術教育

教育は科学調査の性質と一貫性があるべきである。

科学、数学そして技術は、それらが成し遂げてきた成果と同じ程度に、そこで行われる作業内容や思考法によって定義される。根幹となる知識と同時に思考法あるいは手法としてそれらを理解するために、生徒はそれらの分野での典型的な思考や行動を含んだ一定の経験を積む必要がある。よって、教師は次節以降に述べることを行う必要がある。

[13-12]

自然についての疑問から始める。

通常の場合、良い教育は生徒にとって身近で興味深い現象と疑問から始まるのであり、彼らの知覚や理解、知識の範囲を超えた現象や抽象概念から始まるのではない。生徒は彼らのまわりのもの――道具や生き物、素材、形状や数字を含む――に慣れ親しむ必要がある。更にそれらを観察し、収集し、手に触れ、描写し、それらについて疑問を抱き、質問し、それらについて議論をしてから、疑問に対する答えを探す必要がある。

[13-13]

生徒を積極的に関与させる。

生徒は多種多様な機会に触れる必要がある。その機会とは、収集し、分類して目録を作ること、観察し、記録を取りスケッチを描くこと、面接や世論調査をすること、虫眼鏡や顕微鏡、温度計、カメラや他の一般的な器具を使うことなどである。解剖すること、計測し、数を数え、グラフを書き、計算すること、一般的な物質についてその化学的性質を調査すること、植物を植えて栽培すること、そして人や他の動物の社会的な行動について系統的に観察することも必要である。これら全ての活動の中で、最も重要なことは計測について学ぶことである。何を計測するのか、どの器具を使うのか、計測の正しさをどうやって検証するのか、計測結果をどのように構成して意味を成すようにするのかということは、ほとんどの科学と工学においての核心である。

[13-14]

証拠の収集とその扱い方に注目する。

生徒が与えられる課題は、――その成熟段階にふさわしい範囲で――その課題に関係のある証拠は何かを生徒が判断することが要求され、またその証拠が何を意味するかを生徒自身が解釈することが必要となるような課題であるべきである。このことは、ちょうど科学がそうであるように、注意深い観察と思慮深い解析を促す。生徒が情報収集と分類やその解析、またそれに基づいた立論を行うには、手引きや励まし、訓練が必要である。しかし、もしそれらの活動がどうしようもなく退屈でなければ、それらは生徒が関心があることについて、いくらかの知的な満足を得ることにつながる。

[13-15]

歴史的な視点を与える。

就学期間中に、生徒は歴史的な文脈の中に現れる多くの科学的な考え方に接するべきである。重要なのは(第10章で紹介した少数の主要な話題に加えて)どの特定の話題を取り上げるかよりも、その話題が科学という事業の視野と多様性を表したものかどうかである。科学的な考え方の発展、現在の理解に至るまでの紆余曲折、異なる科学者や評論家が果たした役割、実験と理論との間の相互作用について学ぶことで、生徒は科学が本当はどのように起きるのかについての感覚を養うことが出来る。

[13-16]

歴史を学ぶことが重要なのは、それが科学、数学及び技術教育に効果的だからというだけでなく、社会的な大局観――社会が科学と技術の発達に与えた影響や、逆に科学や技術が社会にもたらした衝撃について――を得ることにつながるからである。たとえば、女性や少数派の人たちが社会からの圧力があったにもかかわらず重要な貢献をしたことに生徒が気づくことは重要である。科学、数学そして技術が初期エジプト、ギリシャ、アラビアそして中華文明に端を発していること、また科学者達の仕事が彼らが生きていた時代の価値観や偏見に影響されてきたことを知ることも重要である。

[13-17]

明快な表現に固執する。

口頭及び筆記による情報伝達を効果的に行うことは、全ての生徒に対して全ての学年、全ての科目の教師が高い優先度を設定するべきとても重要なことである。それに加えて、科学(理科)の教師は特に明快な表現を心がけるべきである。なぜなら、科学的な証拠およびその明白な再現の役割は、手段、発見および考え方を明確に伝えるために自分なりの表現を工夫すること、また別の証拠との関係を解き明かすために一定の努力をすることなしには理解されないからである。

[13-18]

チームで学ばせる。

科学及び技術研究の持つ協同的な性質は、教室で頻繁にグループ活動を行わせることによって強く補強するべきである。科学者や技術者はほとんどの場合グループで仕事をしており、孤立した研究者として働くことは少ない。これと同様に、生徒は学習の際にお互いに責任を共有する経験をするべきである。共通した理解に達する過程で、生徒はグループの中でお互いに作業内容やその意味を伝え合い、発見について議論し、作業がどのように進んでいるかを評価しなければならない。連帯責任という文脈の元では、フィードバックと意思伝達はより現実的なものとなり、またそれらは教科書―宿題―復習という普段一人で行うやり方とは全く違った特質を持ったものになる。

[13-19]

知ることと調べることを分断しない。

科学では、結論とそれを導き出した手法は強く結びついている。調査手法の性質は何を研究するのかに依存しており、何が学べるかはどのような手法を使ったかに依存している。単に蓄積した知識を生徒に教え込むことを目指す科学教育は、理解に結びつかず、知的な独立心や能力を育てることにもつながらない。しかし、科学的な思考法をいかなる特定の実体とも結び付けない一連の手順として教えること――例えば「科学的手法の全て」など――は同様に無益である。科学の教師は、この世界に関する科学的な知識と科学的に考える習性とを生徒が同時に学べるように手助けをするべきである。

[13-20]

技術用語の暗記を強調しない。

語彙を増やすことではなく理解することが科学教育の主な目的となるべきである。しかし、明白な用語法は科学的な意思伝達と――究極的には――理解のためにも重要である。よって、いくつかの専門用語は全ての人にとって役に立つが、本質的な用語の数は比較的少ない。もし教師が、考えを明確にさせ効果的な意思伝達を促進するのに必要な最低限の専門用語だけを教えるなら、生徒は徐々に次回のテスト以降も頭に残る機能的な語彙を増やしていくだろう。しかしもし教師が語彙を増やすことに集中したなら、それは科学を単なる作業に貶め、理解のための学習を危機にいたらせ、生徒が学んだ度合いを誤解する危険をおかすことになる。

[13-21]

科学教育は科学の価値を反映したものであるべきだ。

科学は単なる知識の集合以上のものであり、またその知識を蓄積したり正当性を確認する手法以上のものである。それはいくつかの人間の価値を組み込んだ社会的な活動でもある。好奇心や創造性、想像力そして美を尊重することは、確かに科学、数学そして技術のみが持つ特性ではない――懐疑主義や、教条主義への嫌悪がそうではないのと同じように。しかし、それらは全て科学という試みを強く特徴付けるものでもある。科学を学ぶに際し、生徒はそれらの価値に、空疎な謳い文句としてではなく彼らの体験の一部として接するべきである。このために、教師は次節以降に述べることを行うよう努めるべきである。

[13-22]

好奇心を歓迎する。

科学、数学および技術は好奇心を生み出したりはしない。それらは好奇心を受け入れ、育成し、組み入れ、報い、訓練する――そして良い科学教育もそれと同じである。このため科学の教師は、学んでいる題材に対して生徒が疑問を持つことを奨励し、彼らの質問がその答えを探し始めるのに十分なほど明確なものに組みあがるのを助け、答えを見つけるための生産的な方法を提案し、独特だが的を得た疑問を抱いてそれを突き詰める生徒を報いるべきである。科学の教室では、不思議に思うことは知識を得ることと同様の高い評価を受けるべきである。

[13-23]

創造を報いる。

科学者、数学者および技術者は想像力の創造的な活用を高く評価する。科学の教室は、創造と発明が――学術的な優秀さとは別個の特質として――認識され推奨される場所であるべきである。実際、教師は生徒の想像力と創造性が報われるような活動を発明するというやり方で、自分自身の創造性を表現することが出来る。

[13-24]

健全な質問の精神を推奨する。

科学、数学および技術は、それらを実践している人々による制度化された懐疑主義のおかげで成功している。彼らの中心的な信条は、いかなる証拠も、論理も、そして主張もいずれは疑われるものであり、いかなる実験も追試の対象となる、というものである。科学の教室では、教師が以下に述べるような質問を投げかけるのが通例となるべきである:どうやってそれを知るの? その証拠は? その証拠はどう解釈するの? 他の説明の仕方や、問題を解くもっと良いやり方はない? これらの質問の目的は、そのような質問をしたりそれに対する答えを組み立てる習慣を生徒に身につけさせることである。

[13-25]

教条主義を避ける。

生徒は、不変の真理としてではなく理解を拡張する手段として科学を経験するべきである。つまり、教師は彼ら自身や教科書が常に正しい絶対的な権威であるというような印象付けをしないように注意しなくてはならない。科学的な主張の信憑性や、受け入れられていた学説が覆されること、科学者間の意見の相違をどう考えるかなどの題材を取り扱うことで、科学の教師は、生徒が科学を信頼して受け入れることの必要性と偏見のない心を保つことの重要性との間のバランスを取る手助けをすることができる。

[13-26]

審美的な反応を奨励する

多くの人は,科学は冷たくて退屈だとみている. けれども,たとえば星の形成や空の青さ,ヒトの心臓の構成を科学的に理解したからといって,こういった現象のロマンチックな精神的意味が失われてしまうわけではない.それにとどまらず,科学的知識があればさらなる審美的な反応が可能になる──通りの街灯をカーテン越しにみたときの回折模様,微生物の命の拍動,突桁橋のひろがり,生細胞の燃焼効率,岩や樹木の歴史,エレガントな数学的証明,等々.科学・数学・テクノロジーの教師たちは,生徒たちが概念・方法・道具・構造・物体・生体の美しさに対してより広く深く反応するようになれる学習環境をつくりあげるべきである.

[13-27]

科学指導は学習の不安を打ち消すのを目指すべき

学生たちにとって数学・科学の学習には失敗の不安と恐怖がついてまわるものなのを教師は認識すべきである.この原因の一部は教授内容と教授法にあり,また,一部は自分自身も科学・数学が苦手な親・教師から低学年の段階で受け継いでしまった態度にもある.教師たちはこうした数学・科学に対する不安を根拠なしとして軽視してはならない.その反対に,学生たちが問題を理解しそれを教師たちとともに乗り越えるのを保証するべきだ.  教師たちは次のような方策をとることができる:

[13-28]

成功体験の上に積み重ねる

教師たちは確実に学生たちが科学・数学学習で成功を実感できるようにするべきである.また,すべてに正答するのが成功の主要規準ではないことを強調すべきである.そもそも,アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドが言ったように,科学そのものがそれほど正しかったわけでもないのだ.何事であれ理解は絶対確実なわけではなく,また理解の仕方にも多くのかたちがある.よって,教師たちはすべての学生たちが──とりわけ自信のない学生たちが──じぶんの進歩を実感できるように手を打ち,さらに学習を継続するよう励ますべきである.

[13-29]

道具を使用する経験を豊富に提供する

多くの学生は実験器具その他の道具を使うのに恐れを感じている.この恐れの元になっているのは,主として,機会がなかったため学生の多くが安全な環境で道具に慣れ親しむことがなかったことである.とくに女子学生たちは,道具の使用に関しては男子の方が自ずから優れているとの誤った考えに悪影響を受けている.ごく低学年のうちからすべての学生が徐々に道具に親しみ適切な使用法に慣れていくようにすべきだ.学校を卒業するまでに,監督の下ですべての学生が日常的な手動工具,はんだごて,電気的計測器,製図用具,光学・音響機材,計算機,コンピュータを使う経験をしておくほうがよい.

[13-30]

科学における女性・マイノリティの役割を支援する

科学・工学関連の職業は男性・白人にその大半を占められてきたため,女性・マイノリティの学生はこうした分野はじぶんには手の届かないものであるか適性がないという印象をもってしまいがちだ.このように意欲をくじく認識は,学校外の環境により強化されることもきわめて多い.教師たちがこれをあらためようと積極的に取り組まない限り,なくなりはしない.教師たちは女性やマイノリティによる貢献を例示する教材を選択し,ロールモデルを示し,女性・マイノリティの学生たちに自分たちが誰もと同じ水準で同じ科目を学ぶよう期待されているのだということを明確にする必要がある.

[13-31]

グループ学習を強調する

グループ学習のアプローチには,(前述のとおり)チーム学習により科学・工学の方法について理解を深める必要に加えて,動機づけの価値もある.成績をめぐる学生間の競争をあまりに強調しすぎては,科学を学ぶ主要な動機となるべきものを歪曲してしまう.さらに,科学クラスにおける学生間の競争は多くの学生の科学嫌いを助長し,科学を学習するみずからの能力に自信を失わせる恐れがある.科学において規範となっているグループ・アプローチには,教育において多くの長所がある.たとえば,こうしたアプローチによって,誰もが共通目標に貢献できることや進歩のためには誰もが同じ能力を持っていなくてよいことを若者たちが理解する助けとなる.

[13-32]

科学指導は学校外にまで手を伸ばすべきである

子供たちは教師からだけでなく親・兄弟姉妹・その他の血縁・仲間・大人の権威者からも学ぶものだ.また,学校用図書や学校の環境一般にかぎらず,映画・テレビ・ラジオ・レコード・大衆本・雑誌・家庭用コンピュータからも学ぶし,博物館・動物園・パーティ・クラブ活動・ロックコンサート・スポーツイベントに通うことからも学習する.科学教師はより広いコミュニティのこうした豊かな資源を利用すべきだし,また,親たちや関係のある大人たちに有益に関わってもらうべきだ.また,生徒たちが非公式に学んでいることのなかには間違いや不完全な知識,一知半解や誤解も含まれているが,公式の学校教育は生徒たちがそうした知識を再構築したり新しい知識を身につける手助けをできる点を教師たちが認識することも重要だ.

[13-33]

教育には時間がかかる

科学を学ぶにあたって,生徒たちは時間を必要とする.観察する時間,試行錯誤を重ねる時間,アイディアを試す時間,物事を繰り返しやってみる時間が必要だし,ものをつくりあげる時間,道具を調節する時間,ものを収集する時間,物理的モデルや数学的モデルを組み立てて実験する時間,課題の問いに取り組むのに必要な数学・テクノロジー・科学を学ぶ時間,周りと相談したりものを読んだり議論する時間,なじみのないアイディアや直観に反するアイディアと格闘する時間,考え方を変えてみる利点を理解する時間が必要だ.さらに,一回の授業や単元で教わっただけの科学・数学・テクノロジーの話題は,学校教育を終える頃には忘れ去られてしまう可能性が高い.概念をしっかりと定着・熟成させるには,その都度生徒たちに解説するだけではだめで,文脈を変えながら洗練の度合いを上げつつ繰り返し生徒たちに提示しなくてはならない. TOP

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