2008年03月09日

第14章: 教育改革

この章の翻訳を担当したのは、optical_frogさんです。 [14-1]〜[14-6]
[翻訳][SFAA]Chapter 14: REFORMING EDUCATION:[14-1]〜[14-6]
[14-7]〜[14-12]
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[14-13]〜[14-20]
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[14-21]〜[14-25]
[翻訳][SFAA]Chapter 14: REFORMING EDUCATION:[14-21]〜[14-25]

第14章: 教育改革

改革の必要性

改革の前提


第14: 教育改革

[14-1]

プロジェクト2061は,学校の短期的な改善よりも教育の長期的な改革に関わっている.たしかに学校の改善は必要かつ可能であり,また,合衆国の多くの地域で現に進行している.しかし,30年以上も前にスプートニク・ショックによって我が国の状況が露呈して以来,持続的な教育改革は容易に達成されていない.

[14-2]

科学教育を全体として首尾よく改革できるかどうかを決めるのは,公衆が科学教育の改革を求めるかどうか,そして我々国民が何をもって改革の達成と見なすかどうかである.本章は,まず科学・数学・テクノロジー教育において改革を必要とするとの合意が現に存在していることを示し,次いでプロジェクト2061のアプローチの基礎をなす前提条件を提示する. Top button

 

[14-3]

改革の必要性

合衆国の科学教育を強化する必要は1980年代になされた数多くの教育研究で広く認められている(その中の代表的なレポートのリストは Appendix B に掲載してある).すべての学生の科学教育を改善すべきとする論証でもっとも強力なものは人間の知性を自由にする科学の役割にあるのかもしれないが,しかし,公共の議論はそれよりも具体的で実用的かつ卑近な理由に関わっている.

[14-4]

1980年代の教育レポートの大半を動機づけていたのは,国民の間で当時大きくなりつつあった2つの異なる懸念が一体となったものだった.ひとつは,アメリカ経済が下降しつつあるとの懸念である.アメリカ国内の豊かさとその国際的な権力──いずれも実質的に我々の傑出した科学・テクノロジーに支えられている──が,他国とりわけ日本と比較して弱体化しつつある.もうひとつの懸念材料は,アメリカの公教育にみられた傾向である:その傾向とは,テストの得点の低さ,学生の数学・科学離れ,多くの学校における教育スタッフの弱体化と士気低下,他の技術先進国に比べて低い進学率,そして学生の理数的知識の国際調査で底辺ちかくのランクとなってしまったこと,これらである.こうしたレポートが相次ぎ,またその内容がマスメディアで報道されたことで,こういった教育の欠陥が注目を集めることとなった.こうして国民はついにアメリカの教育が危機にあると認識するに至ったのである.

[14-5]

国民は教育そのものにもでも問題を感じていたが,その一方で合衆国における教育の失敗は積み重なって経済の問題の主要因となっているともみなされるようになった.全体として正しいかどうかは別として,この見解は大半のレポートで暗黙のものとされており,それ以外のものでは明確に述べられている.個々のレポートはそれぞれ多様な観点から問題を論じたが,どのレポートも一致してこの経済の低調と教育の傾向という問題設定に突き動かされている.

[14-6]

こうした背景事情をふまえるなら,より一般的な性格をもつ様々な教育改革と並んですべての学生の科学・テクノロジー教育を改善する必要性を教育研究レポートがあれこれのかたちで力説したのもうなずける.教育研究レポートを総合してみると,このポスト工業化社会においては国全体のパフォーマンスと質の高い教育が社会に広く行き渡っていることとの間に関連があることが明らかとなる.いまや,初等・中等学校の子供たちがよりよい科学・数学・テクノロジー教育を受ける必要があるとの明確な国民的合意がある. TOP

 

[14-7]

改革の前提

改革は必然的に長い時間を要する

教育では弥縫策はかならず失敗する.そうなる理由は容易にわかる.理由のうちもっとも明白なのは,実行の規模である.合衆国における教育は大規模な事業であり,300万人以上の人々が雇用され,年に2000億ドル近くが費やされ,1兆ドルを超す固定資産を抱えている.アメリカの初等・中等学校は50の州に8万以上あり,5000万人近くの児童・生徒を抱えている.これがすぐにも容易に変えられるなどと考えるのは空想的にすぎよう.すぐれた構想と計画をもって,その事業に相応の資源を投入して勤勉な取り組みをなしたとしても,教育システムの変革を全米で大々的に行うには10年以上の歳月を要する.

[14-8]

しかし,これはたんなる規模の問題にはとどまらない.他の諸国の大半とちがい,合衆国の教育システムは政治的・経済的に分権化されている.教育政策と教育資源の使用に関する意思決定は文字どおり数千もの異なる単位によりなされている.すなわち,16,000の学区,3,300の単科大学・総合大学,50の州,連邦政府の複数の機関,さらにあらゆるレベルの裁判所が教育に関わっている.このような制度のあり方にはたしかに利点もあるが,しかし迅速な変化は不得意である.なにより,この分権的システムでは,抜本的な改革が必要との合意を教育関係者と国民の間に形成するまで時間がかかる.次に,改革の柱はいかなるものであるべきかについて国民の同意にいたるまでに,またしても時間がかかる.さらに,実施計画を立案し,構想を検証し,数万に及ぶ機関・団体によって計画が実施に移されるまでにも時間を要す.

[14-9]

最終的に改革は政策・機関・プロセスの問題である前になにより人の問題である. 教育者に限らず大半の人々は,こと態度・信念・もののやり方に話が及ぶとゆっくりとした変化を好むものだ.教師や行政者は,教育の目的・若者の性質・学びを育む最善の方法について人間を考慮した見方をみずからの仕事に取り入れている.こうした見方は何年にもわたる経験──生徒としての経験,教師としての経験,そしてときに親としての経験──によってうまれ,強められている.思慮ある教育関係者たちは,このように堅固になった見方を布告や流行で簡単に変えたりはしない.そうではなく,彼らが動かされるのは,尊敬される同僚の間に醸成される感情や,新たな可能性を探る真剣な努力への見返り,そして新たな着想をじっくりと試すことで得られる正のフィードバックによってである.これらはいずれも時間を要する.

[14-10]

教育関係者の変化は,大部分が世代交代によるものなのかもしれない.たとえば若い物理学者やエンジニアは新しい知識・技法・態度をみずからの職業にもちこむ.教師や教育行政者の世代交代もこれと同様のはたらきをする.しかし,それは以前の世代と異なる態度・知識・スキルを彼らが持ち合わせている場合に限られる.したがって,教員養成の改革こそは学校改革の必要条件 (sine qua non) である.しかし,その効果が目に見えて現れるまでには必然的に時間がかかる.

[14-11]

協力が不可欠

教育改革に対する一枚岩のアプローチはアメリカらしいやり方ではない.これには相応の理由がある: ある特定のグループや部門が独占的に知恵・発想力・資源・権威を所有しているわけではなく,また,重大な教育問題にただひとつの解決策がないことなどはまれだからだ.しかし,多様な努力がなされたとしても,物事を変えようとする人々が互いを考慮せずそれぞれに異なる方向に向かっていては,国全体に大きな影響をもたらすことはできない.〔他方で〕教育において一丸となって行進するのは可能でもなければ望ましいことでもない.可能にして望ましいこと,それは協力へのコミットメントである.コミットメントと言うとき,それが意味する実際の行動は,同じ問題・関連した問題に取り組む人々と知識と情報を共有することである.科学教育改革の文脈で言えば,科学コミュニティが教育改革のプロセスに意義ある貢献をなそうと望んでいる限りにおいて,このことは科学コミュニティそのものにあてはまる.

[14-12]

もちろん,プロジェクト2061もまた,科学・数学・テクノロジー教育において新しい指針を示し現行のシステムに意義ある改善をしようとする数多くの試みのひとつにすぎない.全米のそこかしこで,個々の教師・学校はしばしば困難な状況に抗して物事を変えようと努めており,また,学区と州の一部においては断固とした改革が進行中である.さらに,全米規模でのプロジェクトも存在する.そのうちの多くは各種財団・政府機関の助成金を受けており,職業団体・大学・独立組織を中心としている.その改革の焦点はさまざまである.こうした多様な改革の努力をつなぎあわせてひとつの潮流にまとめる必要がある.

[14-13]

教師が中心

たしかに教育を改革する創造的な構想はさまざまなところからもたらされている.しかし,教室での直接の経験から得られる洞察を提示できるのは教師のみである.学生の知識や技能,そして学校の文化を変革できるのは教師以外にいない.さらに,トップダウンや外部からの強勢で教師たちに改革を押しつけることはできない.提案された変化の利点を教師たちが納得しなければ,そうした変化を実現しようと彼らが熱心に取り組むことなどありそうにない.また,求められていることを教師たちが十分に理解していなかったり,新しい教授内容・教授方法の導入に十分な準備が整っていなければ,改革案は失敗する.どちらの場合にも,よりいっそう教員たちが改革案の作成に参加し,合意した変革の実施において支援が与えられるほど,教師たちが実施を持続的なものにできる可能性はいっそう高くなる.

[14-14]

教師たちが改革の中心ではあるのだが,しかし教師たちだけにその達成の責任をもとめることはできない.彼らには同盟者が必要である.教科書を変えること,テスト方法をいまより実用的なものに変更すること,行政の支援システムを創出すること,改革の方針とその実現に時間を要すことを国民に周知すること,改革に必要な資金を用意すること──これらは教師たちだけではできない.このように,学校行政者と教育政策立案者たちは教師たちを支援する必要がある.また,教師たちには学術に関する同僚も必要だ──たとえば,当該学科の専門家,子供の発達の専門家,学習の専門家,新しいテクノロジーを教育に応用する可能性についての専門家などがあげられる.さらに,教師たちには,地域のリーダー・ビジネスや労働のリーダー・親たちの支援も必要だ──つきつめれば教育改革は共有された責任だからである.教師たちはより多くの改革の責任を負うこととなる.しかし,それによって教師以外が担う役割の責任が減少するわけではないのだ.

[14-15]

包括的なアプローチが必要

漸進的な改革からは漸進的な効果が得られる.学区レベルでは,改革の努力は包含的であるべきだ:すべての学年・すべての学科・すべての課程を含まねばならない.たとえば第三学年の読解力,小学校の社会科,職業適性のある学生向けの生物学を向上させるのは,それほど困難なことではない.しかし,そうした互いに関連のない変革が積み重なることで,やがて現在の断片化して荷の重いカリキュラムよりも統合的で一貫した効果的なカリキュラムとなることは,ありそうにない.より広く包含的なアプローチなしでは,変革は時間割・学科・学級・課程の境界におさまるように制約されてしまう.こうした境界そのものが問題のかなりの部分を占めているのかもしれない.

[14-16]

全国規模では,改革は教育システムのあらゆる側面をとりあげるという意味で包括的である必要がある.科学教育の改革は,幼稚園から高校までの既存のカリキュラムを改めることにかかっている.しかし,新しいカリキュラムを機能させるためには,教師の準備・教科書の内容・その他の学習材料・テクノロジーの利用・テストの性質・学校の組織にも変更がなされねばならない.さらに,そうした変更は相互に両立可能でたがいに打ち消し合うことがないようにする必要がある.

[14-17]

包括的な改革といっても,すべての方向へ一度に手をつけようということではない.そうではなく,これが求めるのは,先にある段階をすませて次に進むこと,一部の問題を優先すること,そして,資源を戦略的に配分することである.実施に移る前にシステム全体での計画立案が周到になされるべきであり,その計画立案でもっとも重要なのは優先順位を立てることである.優先順位の設定に失敗すれば,わずかな変革しか達成できなくなるかもしれない.間違った優先順位を設定すれば,学生たちのおかれる状況は改革実施以前よりも悪くなってしまいかねない.

[14-18]

改革は子供が必要とする科学学習に焦点をおかねばならない

人口統計の現実・国民の要望・民主的価値を考慮するなら,我が国はもはやどの学生の科学教育も軽視するわけにはいかないことがはっきりする.人種・言語・性別・経済事情のいずれも,科学・数学・テクノロジーのすぐれた教育を受けられる学生と受けられない学生を選別する要因となってはならない.(女生徒やマイノリティの学生にしばしばあったように)一部の学生の科学教育を軽視するならば,彼らから基本的教育を奪い,生涯のハンディキャップを負わせることとなり,また,我が国の才能ある労働者と眼識ある市民を失うことになってしまう──そのような損失を我が国は受け入れられない.

[14-19]

すべての学生に手を伸ばすと言うことは,学生のあらゆる層の教育を改革することを意味する──すなわち,職業教育,一般教育,そして大学進学準備教育を改革するということである.高校卒業後すぐに就職したいと望む学生であっても,商業関係の狭い技能にのみ焦点をおくのは役に立たない;彼らも,科学的知識と推論のしっかりした基礎とコミュニケーションスキル・学習スキルを身につける必要がある.大学進学を希望するすべての学生が,たとえどのような将来の専攻を考えていようと,大学入学の時点で科学・数学・テクノロジーを理解し,それを基礎にして学びこれらの中から専門分野を選択できるようになっていなければならない.将来を決めていない学生も,その後の進路をどの方向にも選べるような知識・スキル・態度を必要とする.

[14-20]

あらゆる子供の科学学習の必要に応えるには,学習はある意味で子供の仕事であることを社会全体が理解する必要がある.遊びはそれ自体として大事なことであり,また,遊びはしばしば学習につながる点でも大事である.また,お金をもらって働くのも子供にとって教育的となりうる.しかし,遊びも仕事も体系的な学習の代わりにはならない.したがって,親と市民は子供のエネルギーの大部分が学習の課題に注がれるべきだということを理解しなければならない.

[14-21]

改革のための条件が確立されねばならない

改革には変化のための条件が創り出される必要がある.いまやっていることを改めよと教育者たちに勧告して変化の障害を無視するのはまったく無意味である.当然ながら,改革の主たる障壁は一般によい教育をさまたげる障害と同じものなのだ:それは,教師たちと管理者たちの働く環境である.

[14-22]

物理面・心理面・管理面の環境によって教育カリキュラム改革の努力が阻害されている学校があまりにも多い.典型的には,教師たちが考えたり,勉強したり,教材を整えたり,同僚と相談したり,学生と個別に面談したり教職関係の会議に参加するだけの時間が足りていない.さらに,教師たちには個人用のオフィスもワープロ用や記録用のコンピュータもなく,実験の助手もおらず,専門家に相談するアクセスもなく,また,他分野の専門家ならあって当然と思うような各種の支援も受けていない.校長たちにしても大多数はこれと同様の状態にある.広報・人材管理・予算・学生との面談・安全管理といった厳しい職務に圧迫され,校長たちにはプログラムの問題に取り組むような時間・労力・意欲がほとんど残されていない.まして大改革の活動などは論外というものだ.

[14-23]

改革の障害が取り除かれるのと同時に,変化のための好条件も確立されねばならない.そうした条件については,教師と行政関係者たちが新しい実験を試みたりテストの得点のような短期的目標ではなく長期の利益に焦点をあてるようにうながすような環境の創出を強調する必要がある.

[14-24]

改革の好条件をつくる必要性は,学校の単位を超えている.生徒・児童の4分の1が貧困状態で育てられ,薬物使用や暴力が収まることを知らず,人種差別が横行し,教育TVが慢性的に低調な一方で商業的TVが他愛のないことを見せているような状況にあっては,学校が多くの子供たちのためにできることはごく限られている.「よりよいアメリカのためにはよりよい教育が必要であり,また大いにそれに寄与するのだ」というのは立派な考えではある.しかし,今日の最悪の社会問題が改善しないことには,学校が徹底的な改革に踏み出して社会によい影響をもたらせるように変わるのは無理というものだ.教育の改革と社会の改革は歩調を合わせて進む必要がある.

[14-25]

改革の実行を確かなものとするには,継続的なコミュニティの教育支援が不可欠である.そうした支援は,住民の人口変動や社会の求める優先事項がうつろうなかでは容易に維持しがたい.したがって,あらゆるレベル,あらゆる部門──政府・実業・労働・教育──における見識ある断固とした政治的リーダーシップが改革の実現には重要である.そうしたリーダーシップなくしては,教育改革へのコミュニティの支援は永続的な結果が得られるはるか以前の時点で消え去ってしまうだろう. TOP

この記事へのコメント
すみません,自分の訳のタイポです:
[14-5]「教育そのものにもでも」→「教育そのものにも」
Posted by optica_frog at 2008年04月29日 13:34
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