2008年03月09日

第3章: 技術の本質

この章の翻訳を担当したのは、hirooさん、としさん、TAKINさん、みつさん、Yamanakaさん、Kumicitさん、hoytさん、黒影です。

[3-1]Science For All Americans翻訳プロジェクト: Chapter 3: THE NATURE OF TECHNOLOGY
Science For All American勝手に翻訳プロジェクト [Orbium -そらのたま-][3-2][3-3]
4th - 5th par in chap 3 - Science for all Japanese
[3-6,7]Science For All Americans翻訳プロジェクト: Chapter 3: THE NATURE OF TECHNOLOGY
Science For All Americans翻訳プロジェクト: Chapter 3: THE NATURE OF TECHNOLOGY[3-8]
[3-9]-[3-16]Science For All Americans翻訳プロジェクト: Chapter 7: HUMAN SOCIETY
[3-17]-[3-18]Science For All Americans翻訳プロジェクト: Chapter 3: THE NATURE OF TECHNOLOGY
[3-19]-[3-25]Science For All Americans翻訳プロジェクト: Chapter 3: THE NATURE OF TECHNOLOGY
(仮)SFAAを日本語で: [3-26]-[3-30]
(仮)SFAAを日本語で: [3-31]-[3-33]
(仮)SFAAを日本語で: [3-34],[3-35]
幻影随想 別館: Chapter 3: THE NATURE OF TECHNOLOGY[3-36][3-37]
忘却からの帰還: Science For All American -- Chap. 3 HISTORICAL PERSPECTIVES [3-38..40]


Chapter 3: THE NATURE OF TECHNOLOGY

技術と科学

設計とシステム

技術における諸問題


第3章: 技術の本質

[3-1]

人類が現れた当初から技術は存在した。実際、道具を形作る技は人類の文化の始まりの核となる証拠と考えられている。大筋では、技術は文明を発展させてきた強い力であり、だからこそ科学と技術の結びつき同様ゆっくりと進歩してきた。言語や儀礼、価値観、商業、芸術と同様、技術は文化システムにもともと備わっているものであり、その文化の価値観を形作ると同時に反映しているものである。今日では、技術は研究やデザイン、技法にとどまらず、金融や大量生産、マネージメント、労働、マーケティング、維持管理まで含む複雑な社会活動となっている。

[3-2]

切断・造形・組み立てなどの技術、ものを移動させる技術、我々の手や声、間隔を遠くにまで及ぼす技術は、最も広い意味で、人類に世界を変える力をもたらした。人類は技術を用いて世界を人類に適したものに変える努力をしてきた。この改革は食料や防御といった人類の存亡、または知識・芸術・支配といった人類の欲求と関連する。しかし、この結果は複雑であり、予測できないものであり、予期せぬ利益やコスト、危険性をはらんでいる。これらは異なる社会集団に影響を及ぼしてきた。それゆえ、技術の効果を予見することは能力を高めることと同様に大切なことだ。

[3-3]

この章では科学技術リテラシーに必要な技術の性質に関する知識の提言を示し、賢く用いることに貢献できる技術について考える方法を強調する。本章は科学と技術の連携、技術の原理、技術と社会の連携、この3セクションからなる。第8章「The Designed World:デザインされた世界」は現在の世界でカギとなっている技術に関連し、第10章「Historical Perspectives:歴史的な観点」は産業革命の議論を行った。第12章「Habits of Mind:精神の習慣」は技術の世界における原理に関連したスキルを述べている。

[3-4]

技術と科学

技術は科学を利用し科学に貢献する

昔は、物事の性質や物事を操作する技能についての個人的な経験や、職人から見習いへと何代も伝えられてきた方法から技術が生まれてきた。近年伝えられる方法は、職人個人個人の技能だけではなく、指示を与える言葉や数や図で書かれた膨大な文献にもある。しかし、蓄積された実践的な知識と同じ程度に、物のふるまいの根底にある原理を理解(つまり科学的に理解)することによって培われる技術への貢献は重要である。

[3-5]

工学は、技術を開発し使うための科学的な知識の体系的な応用であり、職人の技能だったものからそれ自体が科学になるまで成長してきた。科学的な知識によって、実際に物を作ったり観察する前にその物のふるまいを予測する手段が得られる。それだけではなく、科学によってそれまで考えられなかった新しい物のふるまいが示唆され、それによって新たな技術が生まれることもしばしばある。技術者は科学と技術の知識を用い、設計の工夫と合わせて現実の問題を解くのである。

[3-6]

その見返りとして、技術は科学の目や耳となる―ときには筋肉にも。電子計算機を例に挙げてみよう。それまで他の方法では不可能であった気象、人口動態, 遺伝子構造などの複雑な機構の研究に、電子計算機は大幅な進歩をもたらした。科学にとって技術は様々な場面において不可欠である。すなわち、測定、データ収集、資料の取り扱い、計算、現場への移動(たとえば南極,月、海底など)、資料の採取、危険な材料からの保護、コミュニケーションといった場面で。新しい機器やテクニックは技術によって次々に開発され、多様な専門分野での科学研究を可能にしている。

[3-7]

しかしながら、技術は単なる科学の道具ではない。理論や研究を動機づけ、方向性を与えるものでもある。たとえばエネルギー保存則が確立されたのは、主として商業用蒸気機関の効率を上げるという技術的問題を解決するためであった。ヒトDNAの全塩基配列のマッピングにおいて、遺伝子工学の技術はマッピングそれ自体を可能にすると同時に、マッピングをする目的でもあった。

[3-8]

技術は、より高度になるに従って、より強く科学と結びつく。固体物理学(トランジスタや半導体に関連した学問分野)のような一部の学問分野では、何かを作る能力とそれについて研究する能力は相互依存の関係にあって、科学とエンジニアリングが分離されることはまずない。新しい技術はしばしば新しい理解を必要とするし、新しい発明はしばしば新しい技術を必要とする。

[3-9]

工学は科学的探究と実用的価値を結びつける

技術の諸要素のうちで、科学的探究や数学的モデリングに最も関係が深いのは工学(エンジニアリング)である。工学とは最も広い意味では、問題を構成することと、その解決法を計画することから成っている。その基本的な方法として、まず一般的なアプローチを考案し、次に目的とする対象物(自動車エンジン、コンピュータチップ、機械式玩具など)またはプロセス(灌漑、世論調査、製品試験など)を作り上げるための技術的な細部を仕上げる。

[3-10]

科学の本質についてこれまでに述べたことの多くは工学にもあてはまる。特に数学の利用、創造力と論理の相互作用、独創性への熱意、関与する人物の多様性、職業的専門化、公的責任などがそうである。実際、今では技術者(エンジニア)と呼ばれる人の方が科学者と呼ばれる人よりも多いし、多くの科学者は科学とも工学とも言えるような仕事をしている。同様に技術者にも科学に関わっている人は少なくない。

[3-11]

科学者は様々な現象のうちに、世界を理解可能にするようなパターンを見出す。技術者もそのようなパターンを見出すが、それは世界を操作可能にするものとしてである。科学者は理論がデータに一致することを示そうとし、数学者は抽象的関係の論理的証明を示そうとするのに対して、技術者は設計が実用可能であることを示そうとする。科学者がすべての問いに答えられるわけではなく、数学者がすべての関係を証明できるわけではないのと同様に、技術者はすべての問題に対して解決策を設計できるわけではない。

[3-12]

しかし工学は科学にくらべて、社会システムや文化に一層直接的な影響を及ぼす。それは人の或る企ての成否や個人的利害を直接左右するからである。航空機用ボルトであれ灌漑システムであれ、それを設計する際の工学上の決定には、科学的判断だけでなく、社会的・個人的価値観も必ず関係してくるものである。

[3-13]

設計とシステム

工学の本質は制約条件下での設計である

工学的設計はすべて何らかの制約条件のもとで行われるものであって、まず制約を知り、それを考慮に入れて進めなければならない。制約の中でも、たとえばエネルギー保存則のような物理法則や、弾性限界・電気伝導度・摩擦などの物理的性質などは絶対的な制約である。一方、経済的制約(この仕事に使える金はこれだけ)、政治的制約(自治体、地域、全国の法規制)、社会的制約(世論の反対)、生態学的制約(自然環境の破壊)、倫理的制約(ある種の人々の不利益、後世へのリスク)などは多少伸縮性がある。これらの制約をすべて考慮したうえで、何らかの合理的な妥協点を見出せれば、それが最適な設計である。そのような妥協点(ある種の技術をこれ以上開発すべきでない、という決定も含まれる)を見出すためには、個人的・社会的価値観を考慮しなくてはならない。設計は、既知の要素を決まりきった方法で組み合わせるだけのルーティンな決定で済む場合もあるが、問題への新しいアプローチ、新しい構成要素、それらの新しい組み合わせなどを考え出すところに大きな創造性が現れることも多く、新しい問題や新しい可能性の発見が大きなぎ術革新につながることもある。

[3-14]

しかし、完全な設計というものは存在しない。ある制約条件に適応しようとすれば他の条件と矛盾することになるのは珍しいことではない。たとえば最も軽い材料が必ずしも最も強い材料ではないし、最も効率的な形状が最も安全あるいは最も美しいとは限らない。したがって設計上のどのような問題に対しても、様々な制約に対する人々の価値観、たとえば軽量であることより強度が重要であるか、安全性より見かけが重要であるか、といったことに応じて複数の代替案が存在するものである。したがって設計の課題は、同時に最も安全、最も信頼性が高く、最も効率的、最も経済的、等々であるような唯一の設計はあり得ないということを了解した上で、これら多くの相反する要求のバランスを取ることである。

[3-15]

ある対象物を、それが使用される環境を広く考えずに孤立して設計できることはまずない。工業製品の大部分は運転のほかに保守が、時々は修理が必要であり、最後には更新しなければならない。これらの関連作業はすべて費用がかかるので、そのコストも考慮する必要がある。これと同様な問題で、技術が複雑化するにつれてますます重大になっているのが販売、運転、修理に携わる人員の訓練である。特に技術変化が速いときは多額の訓練費用が必要になる。このため人に対する要求を低く抑えることも設計上の制約となることがある。

[3-16]

設計にはほとんどの場合試験が必要であり、特に設計自体が非標準的あるいは複雑である場合、最終製品またはプロセスが高価あるいは危険である場合、故障が極めて高くつく場合などには不可欠である。設計を試験するには完成した実物を使うこともあるが、それが事実上不可能なほど困難な、あるいは高価につくこともあり、そのような場合には小規模な物理的モデル、コンピュータシミュレーション、類似システムの解析(ヒトの代わりに実験動物を用いる、原子力事故の代わりに地震災害を解析するなど)、あるいは個別部品のみの試験が行われる。

[3-17]

すべての技術は制御を有する

システムというものは、単純なものから複雑なものまで、自己の働きを適切に保つために「制御」を必要とする。制御の本質とは、現在起こっている事象と、起こしたい事象との比較、および、その後の適切な調節である。制御を行うには、通常以下のようなものが必要とされる ・センサーまたは他の情報源からのフィードバック ・その情報と、指示(入力されたデータ)との理論的な比較 ・変更を実行するための手段 例えば、パンを焼くオーブンはかなり単純なシステムであるが、以下のような制御を行っている。 ・温度センサーからの情報をフィードバック ・セット温度との比較 ・温度変化を最小限に保つために、電熱線を点けたり消したりする オートバイは、より複雑なシステムだが、エンジンの温度、燃焼率、方向、スピードなどを制御するサブシステムと、唐突な状況や指示の変化があったときに、それらを変更するサブシステムから構成されている。小型電子機器により、多種多様な技術システムの論理的制御が可能になった。とても単純なものを除くと、現在使われているほとんど全ての家庭用品が、性能を制御するためにマイクロプロセッサを有している。

[3-18]

制御が複雑になるにつれ、それらはさらなる調整を強く必要とするようになる。つまり、さらにひとつ上の階層の制御が必要とされる。情報の高速通信や高速処理が発達すると、とても複雑な制御システムの構築が可能となる。けれども、すべての技術システムは、機械や電子部品だけでなく、人間という要素を含む。最も自動化されたようなシステムであっても、いくつかの管理点には人間が必要である。例えば、内臓されたコントロール要素のプログラミングや、監視、部品の誤動作時の交換、システムの目的変更時の対処は、人間にしかできない。最終的な制御は、システムの目的と、制御プロセスの性質、およびプロセスが動作する背景をある程度以上知っている人間が行う必要がある。

[3-19]

技術には必ず副作用がある

どのような設計も、その意図した利益のほかに意図しない副作用が生産・応用に際して生じる可能性がある。一方では思いがけない利益が得られることがある。たとえば材料の加工法を打ち抜きから鋳造に変えたことで労働環境の安全性が高まる、あるいは人工衛星用に開発された材料が消費者向け製品にも有用であることが判明する、といったことが起こり得る。他方では生産に用いられる物質やプロセスが作業者ないし一般公衆に有害であることもある。たとえばコンピュータの前に座り続けることは眼を疲れさせ、あるいは同僚からの孤立を招くだろう。また雇用にも影響がある。新技術に関わる人々の雇用が増え、旧い技術に関わる人々の雇用は減少するであろうし、また職場での作業内容も変化するかもしれない。

[3-20]

副作用を生むのは原子炉とか農業とかの大規模技術だけではない。日常的なちょっとした技術も同様なのである。通常の技術の影響は個々に見れば小さなものであっても、全体としては著しいものになる場合がある。たとえば冷蔵庫というものは、食生活や食品流通に好ましい影響を及ぼすことは明らかだが、非常に多くの冷蔵庫が存在しているため、それぞれから漏れ出すごく少量の冷媒が大気圏に少なからぬ影響を及ぼすのである。

[3-21]

副作用が予期できないのは、単に予測に関心がなかったため、あるいは予測のための資源がなかったためという場合もあるが、多くはそもそも原理的に予測不可能なのである。それはシステムが極めて複雑であること、また人がシステムを使うときに創造性を発揮して意外な使い方をすることがあることによる。ある副作用が倫理的、美的あるいは経済的に受け入れがたいと考える人がある程度以上存在すれば社会的対立を招くことになる。このような副作用を最小限に抑えるため、企画段階で系統的なリスク分析が行われるようになってきた。たとえば病院、工場、幹線道路、廃棄物処理場、ショッピングモール等々を新設するにあたって、環境影響調査を認可の条件とすることを条例で定めている自治体も少なくない。

[3-22]

しかしリスク分析が時として面倒な仕事であることは、次のような事情を考えれば理解されるであろう。ある種の行為に伴うリスクはゼロにはなり得ず、それが許容できるかどうかは別の方法のリスク、あるいは他のよく知られたリスクとの比較によって決定するしかない。リスクに対する心理的反応は必ずしも費用便益分析の簡単な数学モデルに一致するわけではなく、コントロールできないリスクは大きく感じられ(スモッグは喫煙より恐ろしい)、また大惨事のリスクは大きく感じられる(一度に大勢の死者を出す飛行機事故は、一回の死者がせいぜい数人である自動車の衝突事故より恐ろしい)。またリスクの表現方法も個人的反応に大きく影響する。たとえば死亡率と生存率、恐れられているリスクと許容しやすいリスク、全コストと1人1日あたりのコスト、影響を受ける人の実数と人口中の比率では、それぞれ印象が違うものだ。

[3-23]

技術的システムはすべて故障の可能性を持つ

最近の技術的システムは、トランジスタラジオから旅客機に至るまで、極めて信頼性が高くなっており、故障は驚くほど稀である。しかしシステムが大規模・複雑になるほど不具合の発生原因も多様になり、また故障したときの影響範囲も大きくなる。システムなり装置なりが故障する原因には様々なものがあり、ある部品の故障によることも、ある部品と他の部品とが十分適合しないためであることもあり、あるいはシステムの設計が必ずしもすべての使用条件に対して完全ではないことが原因である場合もある。故障を予防する方法としては、過剰設計(必要以上の強度や大きさなどを持たせること)や冗長性(1つ以上のバックアップシステムを設けて最初のシステムが故障したときにこれに代われるようにすること)などがある。

[3-24]

システムの故障が大きな経済的損失を招く場合には、最も害が少ない故障が最も起こりやすいように設計することが考えられ、これをフェイルセーフ設計と呼ぶ。たとえば信管が故障すると爆発しない爆弾、割れたときに鋭い破片が飛散せず角のない塊になって崩れるような自動車用ガラス窓といったものがこれに当たる。疑わしきを罰しない司法制度もこれに類するものといえよう。他にも故障の可能性を少なくする方法として、設計の際により多くのデータを集めること、より多くの変数を考慮すること、より現実的なモデルを構築すること、長期間にわたるコンピュータシミュレーションを行うこと、品質管理を厳格化すること、問題の発生を検知し対策を講じるような制御系を組み込むことなどがある。

[3-25]

故障を防止または最小限に抑える手段はいずれもコストを高める結果になる可能性が高いが、いかに注意を払い資源を投入したところで、故障の可能性をゼロにすることはできない。したがってリスク分析では、好ましくない結果として考えられるものすべての発生確率、およびそれらが発生したときの損害の程度を推定し、それらの組み合わせでリスクの大きさの期待値を評価するのである。このようにして、異なった設計に対して考えられる損害の期待値を用いて、それらの相対的リスクを比較することができる。

[3-26]

技術における諸問題

人間の存在

地球人口は過去一世紀の間、既に三度に渡って倍増した。その上なお、地球上ほぼ至る所で見受けられる人間の存在は、その人口の数字それ自体が示すよりもさらに大きな影響を及ぼしてきた。我々は植物や動物のほとんどの種に対して優位に、他のあらゆる種が別の種に対して優位に立つのとは比べものにならない程に、優位に立つ潜在的な能力を開発し、単に未来に対処するよりもむしろ未来を自分達で形作る能力を発展させてきた。

[3-27]

そのような潜在能力を活用することは利点と欠点とを併せ持つ。一方においては、技術の発展はほとんど全ての人々に巨大な恩恵をもたらしてきた。今日ほとんどの人々は、かつては裕福な人々だけが楽しむことのできた贅沢であった物やサービスを利用することができている、交通、通信、栄養、公衆衛生、健康管理、娯楽、など。他方では、人類という種がそのように急速に繁栄することを可能にしたまさにその行動が、我々とそして地球上の他の生物とを、新しい種類の危険にさらしている。農業技術の成長は大変に大きな人口を可能にしてきたが、十分な生産を継続するために必要とされる土壌と水系とに巨大な重荷を負わせてもいる。我々の抗生物質は細菌感染症を治療する、しかしこれが有効であり続けるのは、耐性を持った細菌種が出現するよりも速くに我々が新しい抗生物質を創り出す場合だけかもしれない。

[3-28]

我々が膨大な量の蓄積された化石燃料を利用でき、また実際に利用することは、我々を再利用不可能な資源に依存させてきた。現在存在する我々人類の数を考えれば、我々はこの現在の技術が提供するエネルギーによる生活方法を維持することはできないだろう。そして代替技術は不十分なものかもしれないし、許容できない災害を引き起こすかもしれない。我々による大規模な採掘と製造の活動は様々な物を生産するが、これらはまた河川や海、土壌、そして大気を危険なまでに汚染する。既に工業はその副産物として、大気中において、惑星の表面を有害な紫外線から保護しているオゾン層を減少させつつあるかもしれず、また、熱をためこんで惑星の平均気温を大きく上昇させ得る二酸化炭素の増大を生みつつあるかもしれない。核戦争がもたらす環境への影響は、他の災害の中でも特に、地球上のあらゆる生命にとって極めて重要な側面[2]を変化させてしまいかねないものである。

[3-29]

他の種の立場から見れば、人間という存在は、広い範囲の植生を一掃してしまうことによって彼らが利用できる地表の広さを減少させ、彼らの食料源に干渉し、世界環境の大部分において気温と化学的組成[1]を変化させることによって彼らの習性を変化させ、故意であれ偶然であれ外来種をもたらすことによって彼らの生態系を不安定にし、生命の種の数を減少させ、そしていくつかの事例においては、選択的な品種改良と、より最近では遺伝子工学によって、ある特定の植物や動物の性質を現実に変えてきたのである。

[3-30]

どのような未来が地球上の生命に対して保たれるかは、なんらかの巨大な自然大災害さえなければ、大部分においては人類によって決定されることになるだろう。我々を我々の立場へと導いてきたのと同じ知性が、人間の存在の多くの側面を進歩させそして世界に新たな危険をもたらしてきたのと同じ知性が、また、生存のための我々の主要な手段なのである。

[3-31]

互いに強く影響しあう技術システムと社会システム

個々人の発明の才は技術革新において不可欠なものである。それにもかかわらず、どのような技術に手をつけるか、注目するか、投資するか、そして実際に用いるか、ということについては、社会的また経済的な力が強く影響する。そのような決定は、政府の政策としては直接的に、また、あらゆる時々において社会の状況と価値観の結果として間接的に起こるものである。アメリカにおいては、技術に関してどの選択肢を優先するかという決定は多くの要因に影響される。例えば、消費者が受け入れるかどうか、特許法、ベンチャーキャピタルが利用可能かどうか、連邦予算の決定過程、地域的な規則と国家的な規則、メディアの注目、経済的競争、税金面での刺激[2]、科学的発見、などなど。これらの技術革新を誘発する要素と規制との均衡は、通常はそれぞれの技術システムに対して異なって影響し、あるものは後押ししあるものは妨げるという形で作用する。

[3-32]

技術は歴史の道筋と人間社会の姿とに強く影響を与えてきた。そしてなお影響し続けている。例えば、農業技術における偉大な革命は、人々がどのように生活するかという点においては恐らく政治上の革命よりも大きな影響を及ぼしてきた。衛生状況の変化と予防医学は人口爆発に貢献してきた(そしてその制御に貢献してきた)。弓矢、火薬、核爆弾はどのように戦争が行なわれるかを代わる代わる変えてきた。そしてマイクロプロセッサは、人々が書き、計算し、銀行の決済をし、事業を営み、研究を行ない、他人と連絡を取り合う仕方を変えつつある。社会における都市化の進展や世界中のコミュニティ結ぶ経済的相互依存性の劇的な成長といった大規模な変化には、技術が大きな原因となっているのである。

[3-33]

歴史的には、技術的な変化(工業化や大量生産)が社会的な変化を引き起こすと信じてきた社会理論家がいる一方で、社会的な変化(政治的な変化や宗教的な変化)が技術的な変化を導くと信じてきた社会理論家もいる。とは言えはっきりしていることは、網の目のように接続された技術システム[1]と他の社会システムの間の結びつき[2]によって、多くの影響がどちらの方向にも働いているのである。

[3-34]

技術の開放に制限を課す社会システム

ほとんどの部分において、工学の専門的な学問としての価値は科学のそれとよく似ており、学問上の知識を開放し共有し合うという点に見られる長所を持っている。しかしながら技術の経済的価値のために、技術革新に関連した部分では科学や工学の開放はしばしば抑制される。新しい技術を開発しそれを市場にもたらすためには多くの場合、時間と資金との大きな投資、そして相当な商業上のリスクを負うことを必要とする。もしも競争相手が同様の投資をすることなくその新技術を利用可能であったなら、そのような投資はかなりの危険にさらされることになるかもしれない。それゆえに企業はたいていは技術上の知識の共有をしたがらない。しかし科学的知識や技術的知識はどのようなものも、とても長い期間に渡って秘密であり続けるということはあまりない。秘密にしておくことで得られる利点は、最もよくある場合では、時間に関しての利点だけ——技術の先端に手をつけられるということだけであり、知識の完全な管理ではないのである。特許法は、新技術の使用に関しての支配的な権利をそれらを開発した個人や企業に与えることで、それらの開放を促すものである。しかし技術面での競争を促進するため、そのような支配的権利は、限られた期間のみに与えられる。

[3-35]

商業面での利点が、技術についての秘密主義やその管理をしようとする唯一の動機であるわけではない。多くの技術開発が、商業上の懸念は極わずかであっても国家の安全保障上の懸念から秘密を守ろうとすることのある環境、例えば政府機関、において行なわれている。潜在的な可能性として軍事的な応用先を持つ技術はどれも、ほぼ間違いなく、連邦政府によって課せられる制限にさらされ得る。それは工学の知識を共有し合うことを制限するかもしれないし、もしくは、工学知識を推測する材料になり得る製品を輸出することすら制限するかもしれない。いくつかの分野では科学と技術の繋がりはとても密接であるので、技術上の知識の秘匿は必然的に、科学における情報の自由な流れをもいくらか制限し始めることになる。科学者や技術者の中には、科学という学問における理想が損なわれていると考えられることについてとても不快に思っている人々もおり、秘密厳守を強いられるプロジェクトで働くことを拒否する人もいる。とは言えそのような制限を適当なものだと考えている科学者や技術者もいる。

[3-36]

テクノロジーの使用についての決定は、複雑である。

大部分の技術革新は、自由市場の原理(つまり、人々と社会がその革新にどう反応するか)に基づいて広がるか消えるかする。しかし時には、一部の技術の使用は、国民的議論と場合によっては公的規制の議題となる。技術がそのような問題となる一つの場合は、人、グループ、あるいはビジネスが、新技術をテストするか、導入しようとする時である。等高線式耕作、予防接種、遺伝子工学や原子力発電所の場合に実際にそうなった。もう一つの場合は、すでに広範囲にわたって使用されている技術が異議を唱えられた時である。例えば人々が、副作用を持っている、もしくは持っている可能性があると判明した特定の技術や技術製品の使用を止める、もしくは減らさなければならないと(個人、組織、機関に)言われた時である。このような場合、提案された解決策は、有毒廃棄物の埋め立て禁止や、有鉛ガソリンやアスベスト断熱材の使用禁止かもしれない。

[3-37]

技術に関する問題が単純で一方的なものであることは滅多に無い。関連する技術的な事実のみでは、たとえそれらが周知されていて利用可能であっても(大抵の場合そうではない)、一方または他方に賛成することで問題を完全に解決することは出来ない。技術について個人的あるいは集団的な良い決定に到達する可能性は、人々の持つ情報にかかっている。問題に熱心な人と懐疑的な人のどちらもが、必ずしも自発的に準備が出来ているわけではない情報に。従って、社会の長期的な利益は、技術を抑制するか導入するかという提案に関する一番重要な問題が提起され、可能な限りの関連知識が彼らに与えられることを保証する方法を採ることによって最大限にもたらされる。これらの問題について検討することは、必ずしも常に最良の決定がなされることを保証しないが、一番重要な問題を提起することに失敗した場合、ほぼ確実にまずい決定に終わるだろう。提案されたどのような新技術に関する要点となる問題も、以下を含まなくてはならない。

[3-38]

  • 同じ目的を達成するために他の選択肢は何か? その選択肢の長所と短所は? ポジティブな副作用とネガティブな副作用の間にどんなトレードオフが必然的にあるか?
  • 誰がそれから恩恵を得るのか? 恩恵をほとんど得られないか、まったく得られないのは誰か? 提案された新技術の結果、誰が苦しむことになるのか?
  • 提案された新技術は、構築と運用にどのようなコストがかかるか? 他の選択肢のコストは同程度か? 恩恵を受ける人々以外の人々コストを負担することになるか? 提案された新技術の開発コストをだれが承諾しなければならないか? コストは時間とともにどう変わっていくのか? 社会的コストには何があるか?
  • 提案された新技術に関して、どんなリスクがあるか? それを使わないことによるリスクは何か? 誰が最も危険なのは誰か? 新技術は人間以外の生物にどのようなリスクをもたらすのか? 考えられる最悪の場合、どのような問題が起きうるのか? 誰の責任だとみなされるか? その問題の解決もしくは問題の拡大の限定は、どうすればできるか?
  • どんな人々や材料や道具や知識やノウハウが、提案された新技術の構築・インストール・運用に必要となるか? それらは利用可能か? 利用可能でないなら、それをどうやって、どこから調達するのか? 建設・組立や運用にどのようなエネルギー源が必要か? 新技術の保守・更新・修理にどんなリソースが必要か?
  • 新技術による廃棄物を問題なく処分するにはどうしたらよいか? 新技術が時代遅れになったり、使用に耐えなくなったりしたら、どうやって更新すればいいか? その新技術に使われていた材料や、その新技術を職にしていた人々はどうなるのか?
[3-39]

ひとりひとりの市民は、これらの問いに公的レベルで答えを求める立場になることは、まずないだろう。しかし、関連性と答えの重要性を市民が知っていれば、民間企業や関心のある団体や公務員が、その問題に注意を払うことになるだろう。さらに、個々人もまた、自分自身で、その新技術を使うことに関して、同じ質問をするかもしれない。たとえば、効率的家電や、環境汚染につながる物質や、食品や衣料など、彼ら自身による使用。個々人の決定の累積効果は、技術の大規模な使用へ、公的決定の圧力と同程度のインパクトを与える。

[3-40]

それらの問いのすべてが、すぐに答えられるというわけではない。大半の技術的決定は、不完全な情報に基づいて行うしかない。そして、政治的要因は、技術的要因と同じくらいに、ときとしてそれ以上の影響を与える。しかし、科学者と数学者と技術者には、実用上、恩恵と副作用とリスクを評価できるように、将来を見通し、分野を超えて見渡すという、特別な役割がある、彼らはまた、適切な検出機器とモニタリング技術を設計し、関連データの収集と統計分析の方法を準備することで、これに貢献できる。

この記事へのコメント
Posted by hoyt at 2008年04月26日 20:07
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/88907953
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。